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☆学級経営60☆多様な「解」を受け入れることで生まれる思いやり

わたしたちが生活していく中で、「正解」と呼べるものはあるのだろうか。

自分が「正解である」と思うことで、他者の考え方に対して排他的になってしまう可能性があるという記事を以前書きました。

これは、学級経営などにおける人間関係でも、同じように考えることができるのではないでしょうか。

子どもたちは、「何でそういうことするの。」と相手の言動の「おかしさ」を指摘したり、「先生、Aさんが~~しています。」などと「よくないこと」を訴えてきたりすることがあります。

それらの「おかしい」や「よくない」という基準はどのようにして生じるのでしょうか。

クラスのルールや校則(学校での約束事)、社会のルールや文化・道徳など、わたしたちの行動を制限し、方向づけるための基準は様々にあります。これらのように、狭い範囲で通用する「きまり」もあれば、広く一般的な「きまり」もあり、社会に生きる人間としてしてはいけないことはもちろんあると思います。学校や学級においても、同様だと思います。

ただ、ときに他者の考え方を、「おかしい」「よくない」と決めつけることが、自分個人の固定観念によって行われてしまう場面もあります。そして、排除するほどではない、それも一つの考え方として尊重されるべき考え方が排除されてしまうようなことがあります。

「これはおかしい」とか「それは普通ではない」などと、自分の基準の中での「正解」に偏ってしまうと、相手を受け入れることが難しくなります。

本来なら、他者の考えを知ることで自分の学びや、自分の心の許容のスペースを広げたりすることにつながるものであるのに、それらを受け入れられない気持ちにつながってしまうことがあります。

ここでも、多様な「解」を受け入れようとする姿勢が、相手の考え方を受け入れようとする気持ちにつながるのではないかと思います。そして、それは相手を尊重する態度=思いやりになっていくのではないでしょうか。

他者との関係づくりや会話の中では、自分の基準に照らして、その考えがよいか悪いか判定を下すのではなく、相手にどんな考え方が根底にあり、そのような言動につながっているのか、意図を理解しようとするような姿勢が重要になるのではないかと考えました。


みなさんは、子どもたちが他者を受け入れようとする気持ちをもって生活するために学級でどのようなことを気を付けていますか。ぜひ、教えてください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。