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☆学級経営94☆「いろいろな人たちと共に学びたい」と子どもが心の底から感じられるために

学校現場に限らず、近年ではいろいろな人たちと共に学ぶことが重要視されるようになってきました。「多様性」という言葉も日常的に耳にすることも多くなり、このような視点で物事を考えていくことはとても重要なことであると思います。対話的な学びや協働的な学びをするにあたって、有効な方法を模索し、具体的に実践していくことは大切なことであると思います。しかし、その前に大切ではないかと思っていることがあります。


それは、教師自身がいろいろな人たちと共に学ぶことに意義を見出すことです。


当たり前のように思えて、これは難しいことであると思います。(私にとってはかもしれませんが)というのも、私は他者と対話的、協働的に学ぶことが得意ではないからです。人見知りの性格などが関連し「他者と話すこと」事態に意識がもっていかれ、話の本筋に入り込めないということもあります。「この人はどんな気持ちなんだろう」「今、何か機嫌を損ねているのかな」「自分の発言で苛立たせてしまっているかな」など、基本的にその人の負の感情に対して必要以上に意識を巡らせてしまうところがあります。対話をするときには、まずそのハードルが自分の中に出てくるため、そこを乗り越える必要があるのです。しかし、ひとりで思考し、学ぶことはそのような負担がありません。


このような状態で、「対話的に学ぼう」「協働的に学ぼう」と伝えても子どもたちの心にはどの程度伝わるのでしょうか。教師が心の底からそのようには思っていないこと(思っていないわけではなく、「大切である」と頭では分かっていても、心に負担を感じていることなど)が態度や言動からにじみ出てしまい、子どもたちに伝わることもあるでしょう。


教師は基本正直であるべきだと思っています。このような悩みをもつ教師であるなら、例えば、そのことを子どもたちに伝え、その上で対話的な学びやいろいろな人の考えに触れる学び方の重要性を考えていくべきであると思います。同じような性格の子どもにとっては教師のこの表明が心強さになったり、そのような悩みはない子にとってはほかの人の気持ちを考える機会になるでしょう。


公立学校の教員であるならば、学習指導要領などの示された方針に沿って学習指導をしていくことが求められます。しかし、「書いてあるからそれをやろう」という考えに留まるのではなく、そこで述べられていることは、自分にとってどのように受け止めるべきものであるのか、そして、指導する者としてどのように表出し、伝えていくのかをしっかりと考える必要があるのではないでしょうか。


教師自身が、自分の性格や価値観、置かれた状況などを考慮した上で、いろいろな人たちと共に学ぶことの意義を見出すことが、学級で子どもたちにそのことを伝える上でも大切なことなのではないでしょうか。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。