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草引きをしながら
教育支援センターは、敷地内にはかなり草が生えていました。
そこで、子どもが来ていない時間に少しずつ草引きをするのが日課になりました。
この草引きが意外と面白いのです。
根っこまでスポッと抜けたときの心地よさはちょっとスカッとします。
また、私たちは十把一絡げに「雑草」と呼んでいる草たちも、それぞれに形や育ち方が違います。
例えば、表面に出ている葉は小さいのに根が数メートルもある草もあります。
また、見えないくらいの細い茎をひょろひょろと高く伸ばしているのもあるかと思えば、地面の表面に張り付くように広がっている草もあります。
よく「雑草という草はない」と言われますが、まさにその通りです。
どうして同じように進化しなかったんだろうと不思議に思ったりもします。
草の根元が土や砂で盛り上がっているところにはアリが巣を作っています。これも私にとっては新たな発見でした。人間が「雑草」と名づけた草が、他の生き物の命を支えていると考えると、命はつながっていることを実感します。
あるとき、いつものようにのんびりと草を引いていると、知り合いの人から声をかけられました。
その人曰く、「一つひとつ手で抜かなくったって除草剤を使えばあっという間ですよ」。
確かにそう言われればそうなんですが……。
私が草を抜くのは、来所してくる子たちが荒れた敷地を見て気持ちが削(そ)がれないようにという思いからです。
それがたとえ正しい理屈だとしても、「薬」で根こそぎにするには抵抗感があります。
ここに生えている草たちは、私が来る前から生えている、いわば「先住民」です。
後から来た私が私の都合で引き抜いているわけですから、せめて「また生えてくる可能性」だけは残しておくのが礼儀のような気がするのです。
ちなみに最近の除草剤は進化しているようで、特定の種類の植物だけを枯らすことができるそうです。だから、人間が勝手に「雑草」だと決めた草だけを枯らすこともできます。
しかも効果は半年以上続くものもあるそうです。
さて、日本には、柿の木などの果実を、敢えて一つ残すという風習があります。
「あれは、木守り(きもり)とか木守り(きまもり)といいましてね、来年もよく実りますようにとお願いをするおまじないで、木のてっぺんに残しておくのです」
「それとですね、何もかも私たち人間が奪い取って食べてしまうのではなくて、これから食べ物の少なくなる冬に、きっと苦労するに違いない野山の鳥たちに残しておいてやろうという心づかいでもあるのですね。」1)
この話、どこか教育とつながっているような気がしませんか。
1)曹洞宗 龍昌寺ブログ
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