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視点を変えて

有名な「ルビンの壺」の図というのがあります。
これは、最初壺のように見えていたのに、視点を変えると、二人の人間が向かい合っているように見えてくるという図です(その逆もあり得ます)。
たしかに、同じものを見ても人によって見え方や感じ方が変わることは日常的によく経験することです。

このように視点を変えて見ることは非常に大切ですが、逆の場合はどうでしょう。
つまり、同じ視点から違うものを見た場合です。

例えば、下の図のように円柱体と円錐体、そして球体という三つの立体に対して同じように真上から光を当てた(視点を向けた)場合、三つの立体はまったく違うものなのに、下にできる影(見えるもの)はすべて円になります。
視点が真上だけであれば、円錐体も円柱体も球体もすべて同じに見えてしまうのです。


そうした一方向だけの視点は、物事の核心を見逃してしまいます。
ちょっと見る角度を変えれば、それが円錐体であることはすぐにわかるのに、一方向からしか見ないうちに「これは円だ」だと決めつけてしまうのです。

特定の視点しか持たないことは、いわゆるステレオタイプ的な見方につながります。
ステレオタイプとは、「多くの人に浸透している先入観や思い込みのこと」1) です。
例えば、「最近の若者は礼儀を知らない」などという紋切り型の言い方です。
身の回りにいるごく少数の若者やメディアなどの情報によって「若者=礼儀知らず」という構図が頭の中に固定されてしまい、初めて会う若者にも「この若者も同じにちがいない」という視点を向けてしまうのです。
そうなると、ちょっとでもおかしな行動をすると「やっぱりな」と確信してしまいます。
人は自分の見方の根拠になるものを優先して取り入れる傾向があります。
図形くらいのことならたいしたことではありませんが、人間に対するステレオタイプは、深刻な人権問題を生み出すこともあります。

「不登校問題」という言い方もステレオタイプの一つではないかと思います。
かなり減ったとは言え、ある種の公共的な団体などではまだ使われています。
この言い方には「不登校の子ども」に何かしらの問題があるという思い込みが含まれている気がします。
そう思っている人がまだまだ多いから使われ続けているとは言えないでしょうか。
だから、私は「不登校問題」ではなく「不登校現象」と表現するようにしています。

先日、教育支援センターに通所している中学生の子が、
「なんだかんだ言っても、不登校の子は周り(からどう見られているか)を気にしているんだよね」
と、打ち明けてくれました。

子どもたちが根拠のない「問題」というカテゴリーで括られ、悲しい思いをしないことを願うばかりです。

1) NHKfor school https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005320759_00000)

※文中に示した図は、以下の文献からの引用です。

 V・E・フランクル著、山田邦男監訳(2022)『人間とは何か 実存的精神療法』春秋社、57頁

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