放課後児童クラブ(旧学童保育)を何とかしないと日本の将来は危ない
今、放課後児童クラブ(以下児童クラブ)の支援員が次々やめていく事態が各地で起こっている。私は、以下の3点が主な原因であると考えている。
1 待遇の悪さ
とにかく時給が低い。最低賃金そのままの自治体もめずらしくないと
言われている。つまり、時給1000円程度である。これでは夏休みなど
の長期休業中以外は、月に7~8万円くらいにしかならない。
2 子どもの荒れ
具体的には後述するが、児童クラブに集まる子どもの心がすさんでい
ることである。
3 「指導員」が「支援員」とされたことで、強い指導ができなくなった
原因1 待遇の悪さ
先に述べたように、時給は各自治体で決められた最低賃金。これでは、高校生がコンビニでバイトしているのと変わらない。実際支援員になっている人は、40代以上の女性が圧倒的に多い。また、定年退職した元教員など高齢者も少なくない。
苦しい家計の足しにするには少なすぎるし、高齢者にはかなりの重労働である。以下に挙げるように、荒れた小学生を相手にするのは精神的にかなりきつい。メンタルをやられてやめていく人が後を絶たない。
原因2 子どもの荒れの実態
現在、児童クラブはまさに「カオス」状態である。
支援員に向かって「死ねっ!」と吐き捨てるように言うのは日常茶飯事だし、部屋の中で暴れている子に支援員が注意したら「うるせー、ばばあ」と罵られる。
挙句の果てには、
「お前らは俺たちがいるから給料もらえるんだろ。もっと感謝しろよ」
とか、
「支援員が指導してんじゃねえ」
とまで言い放つ子もいる。
時には、足でけられ青あざを作って「公務災害」の手続きをする支援員もいる。
こうした実態が信じられない方は、ぜひ一度現場に足を運んでその目で確かめてほしい。
子どもの心がすさんでいる
児童クラブの子どもが荒れているのは、寂しさの表れである。
多くの子どもたちは幼いころから保育園や幼稚園、こども園に預けられてきた。
今では0歳児保育はめずらしくない。
親に十分甘えたという経験に乏しい。
特に行動が粗野になるのは、親が休みで家にいることがわかっているのに児童クラブに来させられたときである。
甘えたい気持ちが強い分、「なぜ、休みの日も一緒にいてくれないの?」というやるせなさが爆発するのだ。
しかし、これを親の責任だと言い切るのもちょっと違う気がする。
親も苦しんでいるのだ。
最近は貧困家庭が増えている。親は生活のためにはたらきづめである。
たまには子育てから解放されたいという気持ちになるのもわかる。
ひとり親家庭ならなおさらだ。
原因3 「指導員」が「支援員」とされたこと
財団法人こども未来財団による「放課後児童クラブの運営内容に関する調査研究」(平成25年3月)によれば、放課後児童クラブは、平成10年度施行の改正児童福祉法によって放課後児童健全育成事業として法制化された。
当時は「支援員」ではなく「指導員」だった。
それがいつ「支援員」に変わったのかはよく知らないが、とにかく指導する権限が明確に否定されたのである。
だから、先述のような「支援員のくせに」といった言葉が、子どもから出てくるのだ。
原因2のようなやるせなさtあいまって、児童クラブはとにかく気持ちを爆発させる場となっている。子どもは「支援員」が自分たちを強く叱責できないことをよく知っているのだ。
根本的な原因
根本的な原因は、杜撰な国の経済政策や子育て政策の失敗である。
新自由主義の名のもと、小さな政府が経済成長を支えるという幻想を国民に抱かせた。
そして、国鉄を民営化し、郵政民営化を実施し、国立大学を独立行政法人にするなど次々に公共の組織を民営化してきた。
その結果、サービスの質の低下だけでなく多くの国民に貧困を強いる事態を招いた。
それは、食べることに必死になれば親は仕事に多くの時間を割かねばならず、子どもとの時間を減らさざるを得ない。
そして、余裕のない生活は親のフラストレーションを募らせ、虐待を生みやすい土壌を家庭内に生み出す。
結果、犠牲になるのは子どもなのである。
しかし、新自由主義路線を選択すればこういう結果になることは他の国の例を見ても明らかだったはずだ。
子どもの声は小さい。
選挙権もない。
だから、いつも後回しにされてきた。
その結果、とんでもない少子化社会を招いてしまった。
せめて、子どもが小学校に上がるくらいまでは、親が仕事をしなくてもいいくらいの支援を国はすべきではないのか。
それは、子どもがいる家庭だけに偏った支援だと反論する人に言いたい。
寂しさ故にゆがんだ精神を子どもに植え付けるとどういう結果が将来私たちを待っていると思うのか。
互いに支え合うことない、勝者と敗者がいがみ合うような社会を望んでいるわけではないだろう。