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「バスとおばさん」-バスシリーズ第三弾-

帰りのバスに乗ろうと、バス停に行くと長蛇の列。
「もう少し早く来ればよかった」と思ったが、まあ仕方がない。
私は最後尾に並んだ。
すると、一人のおばさんが後ろからやってきた。70代中盤といったところか。
おばさんは、誰に何を聞かれたわけでもないのに一人でしゃべり始めた。
「まあ、すごい行列。座れないとどうしよう」
おばさんは、私の顔を見ている。何か訴えるような目である。
「私、座らないと無理やのに」

えっ な、なにを言ってるんだこの人は。

そして、ずっと私の方を見ているのはどういうわけ?

特に大きな荷物を持っているわけではない。
確かに高齢者ではあるが、ここまでしっかりと歩いてきたんだから、特に体に問題があるようには見えない。
そして私は理解した。
この人は少しでも前に行きたいのだ。
せめて私一人でも「前にどうぞ」と言ってほしかったのだ。
ちょっとイラっとした。
この時点で譲るのは理屈に合わない。
だから、私はおばさんの方を見はしたが、何も反応しなかった。

私は知っていた。
私の乗るバスは14時5分発。その前に14時発の別のバスが来る。
行き先が違う。
おそらく、この長蛇の列はおおよそ半分に分かれる。
実際は大した人数ではないのだ。
でも、私はおばさんにはそのことを伝えなかった。

万一、今日に限って乗客が一方のバスに偏り、人数の多い方に私もおばさんも乗ることになり、おばさんが座れないというレアなケースが起こったら、おばさんは私に「座れるって言ったのに」と嫌味の一つも言うかもしれない。
自分中心的な人はそういうものだ。

でも、それよりも「たとえ高齢者でも、それはわがままだろう」と思う気持ちが強かった。
それでも、万一の万一、私が座れて、おばさんが座れないという超ド級のレアケースになったら、席を譲るくらいのことはしようとは思っていた。

そして14時。
一台目のバスが来た。
おばさんはバスが完全に停車する前に小走りに、私を含めた数名を追い抜いて前に出た。
やはり、いたって健康体である。
そのときおばさんは、はたと気が付いた。
で、「後方」の私に目で語った。
「前に行くけどいいの?」
いやいや、もうすでに前に行ってるではないか。

私は必要以上に深く頭を下げながら、自分の左の手のひらを差し出して、「どうぞ、どうぞ」と合図を送った。

これは、私が乗るバスではない。
おばさんは、それを見届けてまた小走りに数名追い抜いた後、バスに乗り込んだ。

おそらく、余裕で座れただろう。



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