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飽きっぽい私の読書法

どうも私は、昔から一つのことを長く続けることが性に合わないようだ。
これは、父親から受け継いだものだと、母親に言われたことがある。
「あなたのお父さんは、新しいもの好きだからね」
と、よく口にしていた。

私は、37年間教育関係の仕事を続けてきた。
37年も続けたのだから飽きっぽいとは言えないだろうと思うかもしれない。

37年間ずっと教諭として勤務していたのなら、飽きっぽくないという証明になるかもしれない。
でも、私は新任から10年目に教職員大学に内地留学した。

待っていてもなかなか思うように転勤させてもらえなかったので、
「このままでは、自分が腐ってしまう」という感覚が芽生えて、環境を変えたかった。
30代半ばのころである。

40代になると、今度は県教委の指導主事になった。
世の中には、指導主事というとすごく「できる」人のイメージを持っている人も結構いるようだが、決してそんなことはない。
都道府県によっても違うだろうが、私の地域では自分が希望すれば試験は受けさせてくれた。
まあ、基本的に指導主事になろうという人間が少ないということもある。

と、まあ自分の経歴を振り返ってもいろんな場所を転々としている。
それもすべて自分で希望してのことである。
やっぱり、私は飽き性なのだ。

で、ようやくタイトルの読書法の話になるが、私は、1冊の本を読み切ってから次の本を読むということができない。
常に数冊を同時並行で読んでいる。

こんなにたくさんは読みませんが……

理由は単純である。

同じ本を長く読んでいると眠くなるからだ。
集中力も落ちる。
集中力が落ちると、本の字面だけ追って頭の中では別のことを考えていたりする。
これでは、何のために読んでいるかわからない。

というわけで、複数冊を並行して読む。

こんな読み方はいかがなものかと思ったこともある。
本を替えた時に、直前に読んでいた本のイメージが邪魔をして意味を取り違いそうになることもある。

しかし、できないものはできないのでしょうがない。
昔は1冊読み切ってから次の本に行くのが常道だと信じていて、その結果読みかけの本ばかりが手許に残った。

それを思えば、今は並行しながらも最終的にほとんど読み切っているのだから、これもありかなと思うようにしている。

それに、中学や高校のときの授業は一日に何教科もあったわけで、その都度違う本(教科書)を読んでいて、それなりに何とかなっていたのだから、あながち「並行読み」が悪いわけでもないだろうと最近では開き直っている。

それに、飽きっぽいという性格は、必ずしも悪いことばかりじゃない。

例えば、今5つの仕事を抱えているとする。
真面目な人や常識的な考えをする人は、一つずつ確実に終わらそうとする。
しかし、そういうやり方は4つ目くらいになると時間が足りなくなって焦る。
3つめまでは完璧にできているけど、残りの2つはまったくの手つかず状態ということも起こる。
その点、私のような性格だと、5つを少しずつ並行してやらないと飽きてしまうから、5つの仕事のうち、まったくの手つかずの仕事は存在しない。

普通、どんな仕事も誰かの参加や手助けが必要となるし、場合によっては
役割分担もしなければならない。
「今年は、ここのところどうするの?」
と、突然尋ねられることもある。
その質問が4つめ、5つめの仕事に関することだと、順番にひとつずつ終わらせようと考える人は、何も答えられない。
まだ、何も考えていないのだから。

もしかしたら、この仕事のやり方は、働き方改革に大いに役立つかもしれない、と密かに思っている。



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