第121話 藤かんな東京日記〜38度の熱で明治神宮に参拝
耳鼻科医はサディスト、薬剤師は催眠術師
私は発熱している。
目が覚めた瞬間、そう直感した。枕元の体温計を脇にさす。「ピピピ」までの時間が少し長い。
「38.6」
体温計は想像以上に高い数値を叩き出していた。
小さなため息とともに、枕元のロキソニンを1錠、口に放り込んだ。体が熱く腫れぼったい。全身に小さな針で刺すような、気持ちの悪い痛みが走る。体を丸めて目を瞑るが、どの体勢も辛く、寝返りばかりを打つ。
なぜ都合よく、枕元に体温計とロキソニンがあるのかって? 最近、頻繁に熱を出すからだ。
「私は今日も発熱している」
スマホのメモに書き込み、無理矢理に目を閉じた。ロキソニンよ、早く効いてくれ。
これが2024年9月30日、朝6時の話。ここ3日間、私は毎朝37度の微熱を出していた。原因は分かっている。扁桃炎かリンパ節炎か、とにかく喉だ。疲れると喉がヤられる。
普段なら喉に少しでも違和感を覚えた時点で、すぐに耳鼻科に行くのだが、タイミングが合わず、行きそびれていた。
その結果がこれ。
「38.6」
ありえない。ここまで熱を出してしまった屈辱すら感じる。頭痛。気力の低下。悲観的思考。熱が下がった後のヘルペス発症など。今後の予想だけは万全。なぜなら、喉からの発熱には慣れているから。
喉風邪は地球の重力が1.5倍になったかのような倦怠感を伴う。しかしこの日はなぜか、頭痛も倦怠感もなく元気だった。体はふわふわと軽く、重力は0.8倍くらい。ただ体が異様に熱いだけ。もしかすると37度くらいの微熱より、38度まで上がりきってしまった方が、体は開き直るのかもしれない。
ともあれ、ひとまず病院だ。
ふわふわした足取りで、普段から通っている耳鼻科へ向かった。
私はここの耳鼻科が気に入っている。40代くらいの男性医師、彼はおそらくサディストだなのだ。
「これはだいぶ痛いでしょう。膿がベロベロ出てる。かなり悪い」
医師の診察は今日も容赦がない。むしろ普段より目がキラキラしていた。
膿がベロベロってどんな状況や、と思いつつも、口を開けたまま「ほうれすか(そうですか)」と返事。
「溶連菌かもしれない。一応検査しておきましょう」
問答無用で喉の奥に長い綿棒を突っ込まれる。
「うっ・・・・・・うう」
きっと膿がベロベロのところをゴシゴシされている。そこ痛いってわかってるくせに。どんだけ膿取るねん。
15分ほどたって、再び診察室に呼ばれた。
「溶連菌ではなかったです」
「良かったぁ・・・・・・」
思わず声が漏れた。溶連菌と言われると、1年前にXが炎上した時のことを思い出す。詳しくは『はだかの白鳥』280頁で。
でもね・・・・・・と、医師は神妙な顔になった。
「脈拍が42しかないんですよ。あなた、死んでます」
医師は、くっくっくっ、と笑いながら「抗生物質出しておくんで、それで耐えてください」と言った。
これが東京ギャグなのだろうか。笑いのツボがいまいち分からないが、彼がサディストである確信は高まった。
薬局へ向かった。ここにも、なかなかのクセモノがいる。50代女性の薬剤師はおそらく催眠術を使える。
「あら、来てくれてありがとう」
彼女はまずいつもそう言う。そして私のお薬手帳を見ながら、
「今日も前と同じお薬ね。半年くらい前から、頻繁に同じ症状が出てるみたいだけど、大丈夫? 何か環境の変化とか・・・・・・」
彼女は子守唄のような心地良い声で、いつも丁寧に対応してくれる。
「引っ越して来たんで、きっとそれかなと」
「あら、どこからいらしたの?」
「大阪です」
薬剤師は私の手を両手で包んだ。
「環境の変化。慣れるまでしんどいわよね。こっちにお友達はいるの?」
ちなみにこのくだりは初めてではない。これまで3、4回はやっている。そして毎度ここら辺で私の涙腺は緩まる。何回観ても泣いてしまう映画みたいなものだ。
「友達は、あんまりいなくて・・・・・・」
ああ、私はなんて孤独なんだろう!
悲劇のヒロインを演出させられ、涙腺は完全にアウト。泣き出す私を見て、薬剤師は「大丈夫よ」と手をさする。
「いつでもここに遊びに来てくれたら良いのよ。私の話し相手になってちょうだい」
なんでやねん。と心でツッコミながらも、この人とお友達になるのもありやな。と冷静に、というか催眠にかかっている自分がいた。
最終的に彼女はいつも、処方された薬に漢方薬を1つ、おまけで付けてくれる。
サディストからの催眠術師。サウナからの水風呂のようだろう。こうして私の喉風邪はいつもトトノっていく。
「その肩こり、生き霊かもしれません」
病院に行った、薬ももらった。さあ家に帰って寝よう。
普通ならそうしただろう。しかしこの日はどうしても行きたい場所があった。
——明治神宮。
1週間ほど前に、普段から通っている鍼灸院に行った。
「肩首が重だるさが消えなくて——」
症状を伝えると、鍼灸師が神妙な顔で言った。
「それ、生き霊かもしれませんよ」
ああ、思い当たる節が、なくもない・・・・・・
その鍼灸師はよく気功や神仏の話などをしてくれる。人の負の感情は集まってくる。それを祓ってくれるのが神仏。有名な芸能人がよく寺に寄進するのは、徳を積んで、悪いものが寄ってこないようにしている。とのことだった。
「だからどうしても重だるいのが取れない時は、神社やお寺で、ご祈祷してもらうのが良いですよ。生き霊ついてるから」
そういえば、最近やたらと明治神宮をネットで調べていることを思い出した。特に理由はないのだが、なぜか気になるのだ。
「それ、完全に呼ばれてます。行ってください」
こんな会話があったから、9月30日に明治神宮へ行こうと決めていた。
なぜ9月30日なのか。
その理由はゆくゆく書くことに、なるかもしれない。
新宿駅から明治神宮まで約30分の道のりを歩いた。「熱がある時こそ運動する」と教わっただろう? 嘘か本当か知らんけど。だが、到着する頃には、さすがに頭痛がし始めていた。やはり熱がある時は運動してはいけないようだ。
手を洗い口を濯ぎ、本殿へお参りに行く。
財布を開けると、10円、50円、100円。迷いなく50円を放り込んだ。
「5円は『ご縁がありますように』。50円は『五重に縁がありますように』って意味やねんで」
昔、父がそう教えてくれた。
ダジャレやないかい、と聞き流していたが、今もこうしてしっかり記憶に残っている。
大事なことは両親から教わっていた
両親は私が大学生になり、実家を出た頃から、神社仏閣巡りをするようになった。初めは「大人のスタンプラリーや」と御朱印集めを楽しんでいる様子だった。しかしどんどん仏様やお釈迦様の種類、歴史に詳しくなり、四国三十三箇所はもちろんのこと、関西の神社仏閣はほぼ全て訪ねたらしい。
ある時、奈良県の薬師寺に半強制的に連れて行かれた。私は大学院生で、就職活動と修士論文でいっぱいいっぱいになっている時期だった。きっと両親は、息抜きをさせようとしてくれたのだろう。
お賽銭を入れ、パンパンと二拍手しようとした。
「お寺はお辞儀して、手を合わせるだけで良いねんで」と父に教えられた。
二礼二拍手一礼をするのは神社だけ、ということも知らないくらい、当時は神仏に関心がなかった。
両親の間に挟まって、手を合わせる。
「仏様にまず自分の名前と住んでる所を言うんよ。それから日頃の感謝をして、これからもお支えくださいってお願いするねん」
左側にいる母が教えてくれた。
だから2人とも頭を下げてる時間が長いねんな。そう思いながら、自分の名前と住所を念じていると、
「悪いものが寄ってきませんように——」
「悪いものが寄ってきませんように——」
2人が突然、私の背中をさすりだした。
なになに!? なんか怖いんやけど!
その時は恥ずかしさもあり「やめてや」と、笑いながら身を捩った———
明治神宮は神社だから、二礼二拍手一礼。パンパンと手を合わせて、まず自分の名前と住所をお伝えしていた。
「——いつもありがとうございます。1年前に大阪から東京に越して参りました——」
眉間に力が入る。
「悪いものが寄ってきませんように。大切な人が嫌な思いをしませんように。これからも真っ直ぐ進めますように、どうか、お力添えください」
私は、薬師寺で両親が言っていたことを、そっくりそのまま言っていた。当時は、信心深すぎて怖い、なんて思っていたにもかかわらず。
「なんでお寺巡り始めたん?」
お参りを終えて、ご祈祷も受け、帰り道に母にLINEをした。
「ヤッホー! 元気ー?」と、母からはいつも弾んだ返事が返ってくる。そしてその後に、こう続いた。
「子供たちが家を出てしまったら、どうにもしてやれんことが増えるやろ。でもやっぱり子供のことが一番心配やし。だからもう、お祈りするしかなかったんよ」
その親心を完全に理解することは、まだできない。しかし自分の力ではどうにもできないとなった時、もう祈るしかない、という気持ちは理解できる。やれることをやり尽くしたら、あとは運頼み、徳を積むしかないのだ。
明治神宮の鳥居を潜る時には、不思議と頭痛は止んでいた。
サポートは私の励みになり、自信になります。 もっといっぱい頑張っちゃうカンナ😙❤️