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自分の想像の範囲で相手を判断することの無益さ

前回の投稿と重なる部分もあるけれど、これも自分に気をつけるようよく言い聞かせることの一つ


例えば、例外的な勤務時間で働いている同僚がいたとする。

その人はなぜだか遅れてくるのだが上司から注意されることはまずない。

仕事の内容は、課内で他の皆が当然すべきことでもその人は免除されているようだ。


こんなとき想像空想妄想が広がってしまう時はないだろうか?


本人に直接屈託無く質問できればもしかしたらいいのかもしれない。
でも下世話に聞こえず、それでいて皮肉っぽくも聞こえずに訊くことって難しくないだろうか?

すると
「あの人って定時に出社しないよね」

「こっちは範囲広く仕事内容があるのに、あの人はいつも同じ仕事で楽してて特別扱い」

「なんか上司の誰かと知り合いで、仕事の出来とか難易度に関わらずに私たちと一緒のお給料がもらえちゃってる?」

想像妄想はキリがない。


これって全て
   今 この時
に注意が向いていない証拠。
自分がすべきこと、目の前の仕事に注意が向いていない証拠。

その上、勝手に相手の人間像を、自分に想像できうる範囲のみで作り上げている。

そうするとその同僚はその人そのものではなく、自分が決めつけた
「色々便宜を図ってもらって楽〜な仕事もらってサクーっと帰宅する出来の悪いやる気のない同僚」
にすり替わっている。


己の想像で相手を決めつけることの傲慢さ

空虚さ

そして無益さ


その同僚はもしかしたら、子供が5人いて時間を最大限やりくりして、なんとか少し遅れて出社する形で社に貢献しているのかもしれない。

それに、その人がそのことを他の社員に説明する必要なんてない。

例えば、他の同僚と全くいっしょに昼食を取らない人がいたとする。
心理的なストレスで、事務仕事は早くしっかりできるが、人と交流することを避けたい人なのかもしれない。

その人が他の同僚にそのことを説明する義務なんて全くない。その人のパーソナル領域。


例えば、年齢も家族関係も学歴も国籍も全く違うあの同僚とこの同僚が仲がいいのは、私の仕事ぶりに不満があってそのことを話しているのもしれない、と思ったとする。

これも妄想して、その同僚を「私の悪口を言う嫌な人たち」にしてしまっている。滑稽この上ない。

もしかしたら、その同僚2人は、小さい頃親を亡くした、という共通項で悲しみの共有をしているのかもしれない。


そもそもどんな人かなんて全くどうでもいいこと。
時間の無駄遣い。無益。

出社して、自分が会社に求められていることを行い、帰宅する。

それのなんと難しいことか。

でも結局、今この瞬間と自分に向き合うことが心の幸せにつながる。

そしてその幸せには日々練習すればきっと辿り着ける。

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