自分への暴力 地球への暴力
ヨガ哲学に
自分を大事にするというのがある。
非暴力とか色んな観点から結局自分を大事にするということに着地するのかなと思う。
他人への暴力は、わりに気づくことは簡単かと思うが、自分への暴力は気付けないでいることが多い。
友人には優しい言葉をかけてあげられるのに、自分には叱咤叱咤の雨。優しくしていない。
日々の生活でも、よく考えてみれば自分を労っていないことに気づく。
水分をしっかりあげてる?
時々体を動かして体液と血液の巡りをよくしてあげてる?
目をいろんな刺激で疲労させていない?
体を自然の中に解放してあげてる?
体が欲しいものを食べてる?
最近、本当にごく最近、気がついたことがある。
私は踵をゴンゴンと地面に当てながら、というよりも突きつけながら歩く癖がある。
それは自覚していた。
でも別の意味で。
ゴツゴツ歩くから、階下の住民にはうるさいだろうと、室内ではスリッパを履いたり、穏やかに歩く。
でも道路を歩く時にはまたゴツゴツコツコツと踵から思いっきり着地する歩き方。
今までは、音がするということから静かに歩くよう気をつけていたのだが、この歩き方は自分を傷つけていないだろうか?とふと思うに至った。
先日、2日続けて日中歩き続けるような日があり、試しに初日は意識せずにいつも通りゴンゴンゴツゴツと歩いた。
夜は足が相当疲れていた。
2日目は同じ靴で一日中ふわっと優しく歩くよう意識していた。
夜は2日目にも関わらず前日よりも疲れが明らかに少なかった。
あゝ、この歩き方で何十年も踵から全身にひどい刺激を与え続けていたんだあ、、、と愕然とした。
余計な疲れを体に与え、だから回復にも余計に時間がかかり、体の疲れの回復にエネルギーが取られ、心の回復にまで回っていなかったんじゃないか?とも思った。
そして、このゴンゴン歩きで地球も傷つけていたことに思い至った。しなくてもいい歩き方で。
なにぶん何十年もの積み重ねなので一朝一夕で直らないだろう。
でも一日の中で、ちょっとでも意識して気づいてその度に優しい歩き方に整える、を繰り返していたら、地球もやさしく返してくれるような、調和するような関係ができるんじゃないかなと思っている。
(見出し画像 どんな靴を履いていようと、裸足だろうと自分と地球にやさしく)