凡人日記、まごうことなき俺の屁、シルバニアファミリー帝国の瓦解、キユーピーマヨネーズ党、
九月九日
午前十一時十五分。うずらの玉子、紅茶。用事があるのでいつもより早く離床。ひさしぶりにカラエズキが出た。私の場合、カラエズキの出る条件は「安ウイスキーの飲みすぎ」と「睡眠不足」だ。だいたい決まって換気扇の付いてないトイレに入ったときに出る。「肝臓が変調を来せば当分のあいだ酒をやめられるんだけどな」と近頃はしきりに思う。起床後はまずカラエズキ、という日々が去年あった。ああいう「体の悲鳴」をいまの俺は望んでいるのかもしれない。だから俺は今日も飲む。
クレア・コーエン『女友達ってむずかしい?』(安斎奈津子・訳 河出書房新社)を読む。
女ではないし、女の友達もいないので、ほぼ純然たる好奇心だけで読んだ。何章かは飛ばしたけど。女友達に限らずそもそも友達関係自体が難しいんだよね、というのが俺の感想。私には「人生に友達は不可欠」なんて思想がない。BFF(Best Friend Forever)すなわち「永遠の友情」なんて暑苦しい拘束的観念は死ぬほど嫌い。上野千鶴子が信田さよ子との対談で言ってたように、「何でも話せる友達」とか「何でも受け止めてくれる親友」なんてものは存在しない、と諦めることこそ知的成熟への第一歩だと信じている。結婚や出産をきっかけに友達との間に溝が出来た、とかいうエピソードが紹介されていたが、「そんなことどーでもいーじゃん、ほんと凡人の悩みってつまんねーわ」としか思えなかった。「溝」が出来てはじめて友人との距離を感じるようなこの鈍感さはどうにかならないものか。私はそこそこ親しい人といるときでさえ常にどうしようもない距離を感じている。友人関係に何かと過剰なものを求める人は、「人間関係の本源的な悲しさ」を知らない人なんだろう。「他人は他人」という自明のことから目を背け続けている人なんだろう。友達依存の強い人ほど「私たち親友だよね」とかいちいち確認したがる。女友達論とは関係ないけど、学生時代、仲良くすることを「つるむ」と言う男子が苦手だった。どうも「ガラの悪さ」を感じてね。やっぱ俺って育ちがいいんだよな。「君子の交わりは淡きこと水のごとし」という言葉がオイラは好きだ。そろそろ雲古出したんだけど。これなんかも、ガラの悪い人だったら「クソしてえ」になるよ。なんだって? そもそも品性のある人間はそんなことを「公開日記」で露骨に書かない? その通りかもしれないしその通りじゃないかもしれない。昨深夜ILLAYの練習動画がアップされたので五回見た。聞いたことののない曲で、とちゅう何度もターンしていた。俺にとってセナ様はもはや魂の必須栄養素。彼の姿を見ていると「琥珀色の貴公子」という言葉に浮かんでくる。セナ様が教祖の宗教団体があれば一瞬で入ってしまうかもしれない。セナ様にならマインドコントロールされてもいいわ。