闇堕ち系ハピネス症候群的キチガイ印のチンチンかもかも爆殺コロッケ毛沢東、
七月二六日
午後十二時三四分。粉末緑茶、スティックゼリー三本。ILLAYがウィリアム・ルナの「vienes y te vas」を演奏している動画に悲しくさせられた。ナツキとレイとセナの三兄弟は学校を出た後も親父と音楽活動をするのだろうか。こんごのことを思うと夜も眠れない。たまにはプールか海にでも行きたいな、という気分になっている。貴族だから芋を洗うような公営プールや海水浴場は死ぬほど嫌い。どこかに穴場はないか。まあ平民どももそういうところを探してるんだろうけど。俺は海の近くに生まれたのに、海を一年以上見ないことも珍しくない。今年はたぶんまだ海を見ていない。どんなけ行動範囲が狭いんだ俺は。本を読む生活をしていると行動範囲の狭さもぜんぜん気にならなくなる。池澤夏樹の読書日記のタイトルでもある「室内旅行」というのをずいぶん気に入っている。たぶん私は年中旅をしまくっているボンクラよりも「視野が広い」のではないか。昨深夜、鶏の胸肉に馬鈴薯デンプンとマヨネーズと白だしとオニオンスープの素などを絡ませて、ネギとニラと一緒に炒めて、食った。鶏の胸肉を一口大に切る際、そのひとつひとつの表面に切れ目を入れると味が染み込みやすくなると思う。かりにぜんぜん染み込まなくても、そういうことをやると、「俺の料理テクやばい」と自尊的気分になれていい。生活というのは単調に流れやすいものなので自尊的気分になれることなら何でもしたほうがいい。
こうやって料理写真を載せると生活ブログ感が出ていいね。「お洒落ライフ自慢」。他のやつがこういうことやってるのを見たら舌打ちの嵐なんだけど自分は平気でやるんだよな。マジで面の皮が厚い。頼まれもしないのにSNSとかブログとかやってる奴らって全員こういう感じだからね。詰まらない人間ほど私生活をさらしたがる。もういいじゃないそれで。「酒が人間を駄目にするんじゃない、人間は元々駄目だということを酒は教えてくれるのだ」みたいなことを立川談志が言っていたけど、SNSなんかについても全く同じことが言える。だから「承認欲求」とかそんなチンケな心理学用語を使った凡庸なSNS批判はもう止めましょうよ。批判してるやつらも「承認欲求のカタマリ」なんだから。バカだから自覚がないかもしれないけど。藤原のカタマリ殺人事件。
パッハー・アリス『したいけど、めんどくさい 日本のセックスレス現象を社会学する』(晃洋書房)を読む。
セックスレス現象についての研究書で、著者はオーストリアのウィーン出身。精神科医の阿部輝夫はセックスレスを、「特殊な事情が認められないにもかかわらず、 カップルの合意した性交あるいはセクシュアル・コンタクトが 1 ヶ月以上なく、その後も長期にわたることが予想される場合」と定義している。なんかどーでもいいわ。日本では出産後のセックスレスがよく見られるらしい。セックスは子供を作るための手段、という意識が強く共有されていることもそのひとつの原因らしい。俺は「セックスはあまりやりたくない」という人間のほうが「正気」であるように思う。どんなかたちであれ性的交渉というものは「変」で「過激」なものである。相手のあそこをなめたり、全裸になって自分のあれを相手のあそこにねじこんで腰を振ったりするなんて、正気を引きずりながら出来ることじゃない。もっとも、セックスすなわち挿入なんて思わないほうがいい。セックスの捉え方も方法も千差万別なのが当たり前。俺の美的観点からすれば性器の挿入なんて野蛮人のすること。俺は相手がいくら好きな男でも挿入されたいとは思わない。裸で寝ながらキスし合ったりするのが一番好き。俺がはじめてセックスしたのは二二歳のときで、相手は孔令柱という中国人留学生だった。相手がやりたがっていたので付き合ってあげたけど、最後までぜんぜん楽しめなかった。その男のことはけっこう好きだったのだけど、それでもぜんぜん楽しめなかった。相手のことを好きじゃなかったらむしろ苦痛を感じただろう。これは間違いない。ぜんぜん好きじゃないクソ旦那の相手をしている妻の苦痛は如何ほどのものだろうか。自分がその妻だったらと思うと身震いする。そろそろ昼食。きのうの鶏胸肉をチンする。そのあとは一時間ほど部屋読みして、また図書館かな。ふう。だるいっす。だるいっす有。めめんと森。血染めの花束とシャーロック大魔神。