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世界禁酒宣言、重いコンダラ、約束のパラサイト、はじめてのおつかい、はじめてのまぐわい、戻ってこないメロスと邪智暴虐ならざる王、愛は彼方の放射線、まどろみの太平洋、

十月十八日

この心が干からびたとき、慈悲の雨を降らせに来てください。
この生命が優雅を失ったとき、歌声高く来て下さい。
うるさい仕事が四方八方にやかましく、私を閉じこめてしまうとき、平和と憩いを携えて来て下さい、わが沈黙のご主人さま。

『タゴール詩集』ギーターンジャリ(英語本による散文訳)(渡辺照宏・訳 岩波書店)

午後十二時四十分。リッツ、紅茶。カラエズキ六回。ベッドから離れたくなさ過ぎて涙が出そうになる。一日中ずっと寝てたい。飲酒に伴う動悸がかなり長くなった気がする。ちょっと飲んだだけなのに肝臓がフル稼働しているのが分かる。だからなのかいい感じに酔えない。いくら飲んでも「世界は俺のものだ」とは思えない。こんなんじゃ飲む意味がない。もう毎晩飲むのは止そう。こんどこそ本当だ。酒を飲むよりドラムを叩くセナ様を見ているほうがずっと陶酔できる。他者にここまで蒙を啓かされたのは二度目だ。一度目はむろんバロー高尾店に佐野菩薩が示現されたとき。まいにちその方角に礼拝しているのは言うまでもない。思うにどんな人にも生涯三度は菩薩が現れる。何らかの形で菩薩が現れた時それに気付くか気付かないかはその人の感度次第。きのうは天気が良かったので午後四時ごろ金沢文圃閣に行った。ひさしぶりに宇宙との交信ジジイを見た。買った本は白川静『中国古代の民俗』、田中康夫『なんとなく、クリスタル』、澤潟久孝『万葉集講話』、『古典劇集』、『古代文学集』、『ザ・漱石』の六冊。しめて880円。会計の際あまりにもだるそうに対応されたのでやや苛立つ。『ザ・漱石』は漱石の全小説を一冊にしたという雑で変なもの。約750ページで電話帳サイズ。漱石の小説は二十代の第一次ひきこもり時代にだいたい熟読しているし、そこまで好きでもないのだけど、なんか面白かったので買ってしまった。

「その発想はなかった」、
字は『広辞苑』よりちょっと大きいくらいか、注釈は一切なし、

結局こんかいジジイは12000円しか返さなかった。残りの4000円は12月の企業年金まで待ってくれだってさ。こっちは商売じゃなくて「善意」で貸してるんだから期日までに全額ちゃんと返して欲しかったね。馬鹿ってのはだいたい計画性がない。「他人のこわさ」を知らない。たぶん若いころに漱石を読んだことがないんだ。漱石の全小説を敢えて一言で要約するなら、「世の中はお前が思っている以上にシビアなところだ」というふうになる。ジジイは俺の「心の狭さ」を知らない。「実はいい人」だと思っている可能性がある。「いい人」だと思われる努力なんか俺はもうしたくない。馬鹿が甘えてくるから。ほとんど人間は甘えるのは好きだが甘えられるのは好きじゃない。俺はもっと孤独になろう。鬼畜になろう。鬼畜英米になろう。もう書くことないから歌でも歌おうか。赤い夕陽が校舎を染めて、にれの木陰にはずむ声。むかしこれ、校舎じゃなくて紅茶を染めてるのかと思ってたね俺。殿様、そこに愛はあるんか? 汚泥の底。走れウサギちゃん。

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