七月二四日
十時半起床。三〇分ほどFBとnoteをつらつら眺める。安定して詰まらない。俺もこういうゴミ駄文を日々書いているんだな。厚顔無恥は天性だ。紅茶、蒟蒻ゼリー三個。隣のジジイ問題(TJP)にやや引きずられていますわ。ここに引っ越してきたその日にアクビで奴の存在を知って以来、殺意は増すばかり。夏など奴の部屋由来の煙が風に乗って入ってくる。だから窓を開けられない。締め切っていてもなんだか臭い。地獄。ペンチで一枚一枚生爪引き剥がして目の奥に突っ込んでやりたい。とはいえ共用廊下で擦れ違うときなんかはちゃんと微笑を浮かべて挨拶する。紳士だから。嫌いな人間を無下に扱えないのも弱さというのなら俺はその弱さを愛する(キリッ)。でももう奴に対しては「心からの親しみ」などは決して持ちえないだろう。ところで、集合住宅に住んでいる者たちは部屋から出る際、誰かと顔を合わさないか内心びくびくしている。いちおう「同じ屋根の下」で生活しているにもかかわらず、そこに住んでいる人のたいはんは互いに名前も知らない。だからその距離の取り方が分からない。そもそも他者と顔を合わせるというのは人間にとってなかなかストレスフルな経験といえる。人間であることの居心地悪さはひとえにその点による。「心を許す」という慣用句がありますが、私がこれがどういうことなのか皆目見当がつかないのです。
五木寛之・他『視想への旅立ち』(河出書房新社)を読む。
四十代の五木寛之は饒舌でトンガッてるね。対談(討論)相手は、菊地昌典
、武満徹、内村剛介、唐十郎、寺山修司、山下洋輔、塚本邦雄、篠山紀信、高畠通敏の九人。学生時代(一九歳ごろ)、『大河の一滴』を皮切りに、『運命の足音』『人生の目的』『みみずくの散歩』『風に吹かれて』と彼のエッセイをぞくぞく読んだ。その後「活字本」にどっぷり浸かることになるきっかけが五木エッセイだったと言っても過言ではない(『青春の門』も最初の数巻は読んけど、信介が耳のなかの水を出したときの描写しか覚えていない)。なぜあの頃彼のエッセイにそこまでハマったのか、といった問いに答えるのは案外たやすい。まず、活字が大き目で読みやすかったから。なにしろ当時はまだそれほど活字慣れしていなかったので、これは助かった(その点で幻冬舎には感謝)。つぎにとことん厭世的だったから。この世は地獄だと五木は骨の髄まで理解していた。そのくせその「厭世観」はごくドライなものだった。彼は満州からの引き揚げを経験しており、そのさいの凄惨な記憶は、その後の彼をずっと苦しめている。彼が親鸞にゾッコンなのもきっとその為だろうと思う。あとで五木が子供を作っていないことを知り、彼のことをますます好きになった。こんな地獄に子供なんか作れるか、という「倫理的決意性」を僕はついそこに見てしまう。ちと理想の投影が過ぎるかしら。稲垣足穂や深沢七郎や埴谷雄高やジャン・ジュネなど、なんとなく僕が気を引かれる人たちは子供を作っていない。家庭人特有の卑俗さや薄汚れを免れている。
以下、気に入った箇所の引用(誰の発言かなど細かいことは気のするな)。
さ、今日はこのあとどうしようかな。気散じに書店でも行くか。隣のジジイの雑音が頭蓋骨の内側にへばりついている。