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読書はあんがい難しい

ほんじつは酒を飲みながらキーボードを打ちます。
酔っ払い運転は御縄になるけど、酔っ払い執筆は誰に加害することもないから心配ないですね。
むかし阪神タイガースに今岡誠というチャンスに強い野手がいて、二〇〇五年、一四七打点という驚異的記録をつくった。その記録について語るとき当然その前を打つ四番・金本知憲を忘れるわけにはいかない。アニキ金本がかなり高い確率で出塁もしくはチャンスを拡大させていたのだ。
なんでいきなり今岡の話と思っているかも知れないがべつだん何の話をしてもいいだろう。日記というのは何でもありのアナーキーな場なのだ。矛盾も変換ミスもへっちゃらさ。
アンドリュー・ポーター『帝国主義』を読了。しょうじきに告白するとストンと腹に落ちまくる感覚をなかなか得られない読書だった。いわゆる入門書なのだけど扱われている歴史的事象の文脈を掴めない事が多かった。読書のパフォーマンスは脳などのコンディションに著しく左右される。寝不足であったり花粉症であったりするだけで文字面の吸収率が低下する。最初は快調に読めていても、途中から低血糖の症状が強くなって論理展開をぜんぜん追えなくなることも珍しくない。あるいはただ単に二日酔いで読書に身が入らないこともある。
僕の様に日課として長時間読書をしていると、「本を読む」ことが案外難しいことを頻繁に実感する。大人は子供に「文字の読み方」は教えるが、「本の読み方」を改めて教えることは少ない。文字さえ学べば本を読めると思っているのかも知れない。本には様々の種類があって、なかにはある特殊で集中的な「読み方」でないと「何も語りかけてくれない」本がある。たとえばいっぱんに「古典」と呼ばれている書物がそうだし、「哲学書」や「聖典」と分類されている書物もそうだ。カントの『純粋理性批判』などはすらすら通読するために書かれているわけではない。『無門関』や『臨済録』などはたまたま開いたところにある文言と「格闘」するように編纂された書物だといっていい。最初の頁から最後の頁まで糞真面目に読み通す書き物ではない。「読む者」の覚悟を問う書物が世界にはあることを、忘れてはならない。
と、たまには格調高い脱線を試みたところで、日記の続きに戻ります。ほんじつ二冊目はアナーキストにして人類学者のデヴィッド・グレーバー『官僚制のユートピア』。さいきんでは彼の名はブルシットジョブという言葉の提唱者として有名だけど、私は彼の挑発的で切れっ切れの「語り口」に惚れているので、とうぜん明日に続きを読む。貨幣の本質について切り込みまくった大著『負債論』も読みさしだから、今年の内には読みたい。
図書館に布団を持ち込みたいほど本を愛する私としては、年末年始の一週間近くの閉館は耐え難い。馳浩知事、二十四時間三六五日の開館を検討してくれませんか。私には図書館以外に行くところなんて無いのです。行きたいところもないのです。
まあ年末年始はペットボトルでなくガラス瓶に入っている赤ワインでも傾けながら部屋に積読本でも読むか。ふう。〈人生〉は哀しい。

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