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なんとなくクリとリストカット、「釈迦はニートの星」とお前は言った、首固め天井桟アルマジロ、

十月八日

不正なこと――かれらは、他人に害を与えないで自分の欲望をみたす方法を、ほかに見つけることができなかったのだ。

パスカル『パンセ』(田辺保・訳 角川書店)

午後十二時四五分。黒糖かりんとう、紅茶。午前十時には目を覚ましていたのに二度寝してしまった。このていどのことでいちいち「罪悪感」を抱いてしまう俺の超自我はちょっとおかしいんじゃないか。こんなんでよく「自由な個人」なんて言えるよな。ちゃんちゃらおかしいや。昨夜から抑鬱がだいぶ強い。慢性的に眠気がある。今夜から飲まないけどだいじょうぶかしら。飲むから抑鬱が強くなるのか、飲まないから抑鬱が強くなるのか、という問いはとうめん禁じた方がいいかもね。「酒もタバコもやらないなんて大人として終わってるんじゃないか」と卓上メモにある。ああだからその発想がだめなんだよ。「やること」はいちおうそれなりにあるはずなのに倦怠感でときどき涙が出そうになる。ほかの知的小児病者とは違って俺は生の本質的無意性を完全に知っている。どんな苦労や苦痛も生の終着点で報われることはない、と知っている。こんなハンディキャップを負いながらも狂死しない俺まじすごいわ。さっきから「およげ!たいやきくん」が頭を離れないのでいまからスポティファイで聞く。そもそも俺は鉄板の上で店のおじさんとケンカしたことさえないんだけどね。交通量が少ないのにわざわざボタン押して信号を赤にして横断歩道を渡っているやつを見るたび憤死しそうになる。いちいち車を止めるな、ということじゃない。道路なんて好きなときに渡ればいいだろ、ということ。こういう「遵法精神」がまじで嫌。冬の半袖禁止令とか男のタンクトップ禁止令とかが出されると従うのかお前らは。きょうはいつも以上に雑だな。眠いわ。眠狂四郎。紅茶もう一杯飲むわ。さいきんようやく斎藤元彦と八田與一のことが気にならなくなった。そのかわり習近平の中東外交のことが気になるようになった。どっちかというと中国は毛沢東時代からパレスチナ寄りだった、ということは以前『選択』で読んだ。中国が世界の「覇権国」を気取りたいのならまずはイスラエルのジェノサイドを止めないとね。酒を飲まないかわり新刊本をもっと買うことにした。李琴峰『言霊の幸う国で』とベティ・フリーダン『女らしさの神話』がいまとても気になっている。昨日の「読売新聞」(日刊)の時事川柳に「書店とは?スマホ使って調べる子」というのがあったけど、さすがにこれは誇張だろう。胡蝶蘭の瞬きの中に神々のワイングラスを見た。

橋本治『蓮と刀 どうして男は〝男〟をこわがるのか?』(河出書房新社)を読む。
「名著」だわ。でも古書店以外では入手しにくいかも。けっこう高い値が付いていることが多い。読みたかったら貸すよ。幼児語炸裂の本文については論じるつもりはない(というかそんなの無理)。そのかわり「どんな調子なのか」を伝えるために付箋のある頁の文章を少し長めに引用しておこうか。

ある男は男と寝る。だがしかし、ある男は依然として男と寝ない。一体この差はどうして生まれると思う? 寝る男は、ある時点で、自分と他人との差というものを認識しちゃったのよね――それが言語化不可能な無意識レベルに属するようなことであっても、寝る男というのは、確かにそれを認識したのよ。だから落差を感じたの。だから落差を埋めたがったの――埋めてるの。そしてそれが、言葉によらない領域――セックスに関わる領域だから、寝るという行為によって、男は身をもって落差を埋めるの。そして、その行為に〝落差を埋める〟という目的があったとしたって、その行為の大本が言語化不能の領域だったりする故をもって、男はその目的に気がつけないの。盲目であるが故をもって、セックスという行為は〝底なし〟となった――ただそれだけなの。

日の本さん家の伯(叔)父さんの場合〔原文傍点→太字〕

昨日の続きみたいになるけど、俺の定義によれば、「オヤジ」というのは各種の「社会規範」をすっかり内面化している愚鈍な人間のことね。だから中高年男性の「オヤジ」もいれば、少女の「オヤジ」もいるの。街でステキ男子を見て「この男に抱かれたい!」と思っても、「いやそんなはずがない、俺にはそういう趣味はない」と即座にその欲望を否定してしまう男はみんなオヤジね。だって「好き」という生の情動を(吹けば飛ぶような)「異性愛規範」なんかに照らして抑え込んでしまうんだから。そんなのただのヘタレじゃん。俺にとってこの「オヤジ社会」に喧嘩を売る気さえ見せないそんな男は最初からアウトオブ眼中なの。朝井リョウの『正欲』は「ダイバーシティのまやかし」を突くわりといい小説なんだけど、「特殊性癖」を持った登場人物たちがちょっと悩み過ぎなんだよね。いったい「生きにくさ」という主題ほど凡庸なものはない。なんでも深刻に描けば小説らしくなると思ったら大間違いよ。おいら水の噴射に性的興奮を覚えまーす、と「変態」アピールすればいいんじゃんと読みながら何度も思ったわ。生理の排卵日だとかを計算しながら性交している男女に比べればどんな「特殊性癖」も色褪せて見えるじゃん。もうそろそろ飯食って雲古して図書館行くわ。ちょうしたの缶詰と梅干しね。セナ様のアゴから生える一本目のヒゲになりたい 私。

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