連鎖性不快情念のパンデミック的牙城、断頭台の露、君たちはどう意気がるか、
八月二一日
午前十一時五三分。紅茶、ソルティ三枚。「大脱走のマーチ」。ボクサーブリーフ一枚。ゲンキーで400円くらいで買った「ボエン・ビエール」という白のデイリーワインを一本(750ml)空けたけど吐き気に見舞われることもなく全体的にいい感じに酩酊することが出来た。酒を飲んで吐くのは下であり、感傷浸りに他人を巻き込むのは下の下であり、暴れるのは下の下の下であり、全裸になるのは下の下の下の下である。全裸になりたければ素面でなってくれ。酒を飲まないと脱げない男を俺は信用しない。
とりあえずゲンキーの担当バイヤーの目利きを称えなければならない。ワインは値段に関係なく「アルコール感」がほぼ無くていい。それが当然なんだけど。もう毎晩ワインでもいいわ。高いワインはどうせマズいので五百円以下のワインでいい。こんどダイソーでワイングラスを買うつもり。白ワインには白身魚のソテーが合う。赤ワインには牛肉が合う。これいじょう蘊蓄を傾けると自分の趣味の良さと上流ぶりに陶酔しそうなのでやめる。クロード・チアリの「禁じられた遊び」が聞きたくなってきた。安全地帯の「ワインレッドの心」でもいい。スポティファイはどんな曲でも知っている。ただILLAYの音楽はない。ことしの阪神の優勝はもう難しいだろう。でも誰も岡田彰布を責められないはずだ。万年二位的風情がハンパなかったあの阪神を一度でも日本一に導いた監督のことを悪く言ってはいけない。便意を催しつつある。きょうはもう書きたいことがないんだ。スマホのメモに、服を着せられている犬をみるたび椎名誠の「バカカバー」論を思い出す、とある。「バカカバー」というのは彼の『赤眼評論』(文藝春秋)に収められたエッセイのタイトル。ずっと前に読んだのに、エアコンでも電話機でも放っておくとなんでもカバーをかけたがる日本人のカバー好きについて批判的に論じたこのエッセイだけはよく覚えている。犬の服もそういう「カバー好き」の然らしめるところなのかもしれない、と昨日の僕は考えたのだろう。なんであれ物が剥き出しになっていることを嫌う傾向は自分にもあるかも。スマホケース(カバーみたいなもの)の専門店を見たときもそんなに変だとは思わなかったし。「日本人って変」的なよくある言説は世界中に見られる自民族特殊論に属し、この種のものを面白がって消費できるようなナイーブさは僕にはもうない。でも八十年代の椎名誠の文章にはとんがっているものがときどきあっていいね。もう昼食にする。冷凍のサイコロステーキを焼く。きょうはあんまり図書館に行きたくない。また読書スランプに入りつつある。クローゼットのカビ臭さを取り除く作業に汗流そうか。それも嫌だ。アヴィレックスの黒タンクトップ一枚で炎天下を歩きたい。いつか俺は「タンクトップ・ナルシシズム」という言葉を流行らせたいんだ。俺以上に「タンクトップの色気」を論じるにふさわしい男は他にいないだろう。橋本治は『革命的半ズボン主義宣言』を書いた。なら俺は『革命的タンクトップ主義宣言』を書かねばならない。きょうも息をするようにチンコいじりながら生きています。残念。