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弱音さえ堂々と吐けない正真正銘の弱者たちに背を向けウイスキーの喇叭飲み、さながら浮き世は幼稚園、フルシチョフをスターリンのハイヒールでひっぱたきたい、希望は皆殺し、働かずにたらふく食いたい

一月二八日

いけない。実質的な起床時刻が遅れつつある。やはりどうしても九時半は眠い。二度寝クラブ正規会員だから。まあ正午はぜったいに過ぎないので問題ありません。このていどは想定の範囲内なのです。

ウィスキーを喇叭飲みしながら大雪の中をハイヒールで歩きたい。僕らはみんな生きている生きているから死にたいんだ、とか歌いながら。声帯がちぎれるほど叫びたい。できれば仲間連れのほうがいい。真正のアホだと思われたい。いざというよきアホになりきれないやつはドアホだ。

諭吉『学問のすゝめ』をいちおう通して読んだ。「独立不羈」の美学を自慢するのはいいけどそれを人に押し付けんな、と腹が立った。とはいえ読者たるもの、著者の挑発に怒りで反応してはいけないのだ。その時点で読者は相手の術中にはまっている。七篇に由来して起こった「楠公権助論争」だってそう。諭吉のようなイデオローグにとって「無反応」のほうがはるかに不都合なことなのだから。
で、負けを承知で駁論めいたことを書くが、他者依存も芸の内であり人助けなのだということを、この啓蒙ジジイは考えようとしていない。人に依存されたり人を助けたりすることでしか得られぬ「生き甲斐」もあるのだ。人に助けられることも人助けとなりうるのだ。もとよりどうしようもない人間(諭吉の言う愚民)がどうしようもなく不均衡に支え合いながら共存しているのが人間集団(社会)なのである。誰もが諭吉流に「独立不羈」を志している社会は私の目にはディストピア的に映る。そこから弱者切り捨て型の自己責任論へは目と鼻の先だ。ほとんど径庭がない。それに独立独立いいはりますけど、そんなものはしょせん「経済的独立」に過ぎず、私から見れば、既存の社会経済システムの手のひらの上で乙に済ましているふうにしか見えない。貨幣を使ったり往来を歩くとき、彼彼女は他者の作ったインフラに「依存」しているのである。そのコストを負担しているしていないにかかわらず、だ。また空気を吸うときも水を飲むときもそこには自然依存がある。
自立だの独立だのというイデオロギーを推しまくる人間はどうも胡散臭くて苦手だ。世の下層にくすぶるダメ人間たちの息するところを残してほしい。昨日読んだヴァルター・ベンヤミンの論考「ボードレールのいくつかのモチーフについて」の注釈に、「ボードレールにとって自堕落の最後の砦だった娼婦さえ淫蕩を戒めるようになっていた」みたいな切ない文章がたしかあったけど、こうした事態は日本でもほぼ完成して久しい。誰もが「まとも」であろうと欲しているし、社会的上昇に飢えている。大資本にボロ雑巾のようにこき使われている非正規社員さえ口を開けば出来合いの道徳を口にする。「法律だから仕方ないよ」「労働や納税は国民の義務だからね」と強いられてもいなのに<模範的>なことを言いたがる。「通俗道徳」や「競争原理」をすっかり内面化しているからだ。「平均的」な近現代人は、堕落している自分を恥ずかしく思い、それを許せない。してみるととうぜん他人の堕落にも寛容ではいられない。自己欺瞞的な「強がりごっこ」が横行することになる。この「強がりごっこ」のプレイヤーからみれば、弱音のダダ漏れはすなわち自分を弱者と認めることであり、あらゆる愚痴が言い合いは「傷の舐め合い」となる。誰もがなんらかのかたちで足元を見られるのを恐れている。これこそ彼彼女らの悲劇的マインド・セットなのである。私はそんな「強がりごっこ」とは無縁でありたい。かなしいときは「かなしいときー」なんて書きまくり、死にたいときは死にたいと誰かに助けを求めたい。また不快なときは「いまじぶんは不快を感じている」と自覚し、そこからいつでも逃げられるから大丈夫だと率直に自分に言い聞かせたい。隣の無神経爺さんのガサツさに堪え兼ねたとき、僕はいつもそうしている。だからこの「日記」にはまいかい必ず罵詈雑言が含まれてしまう。おおやけの目にも開かれているのにこんなに憎悪汚染が激しくていいのかなんて省みないこともないのだが、僕の文章をまいかい読んでいる時点でその人は僕と性癖をたしょう同じくしているはずだし、またそういうことを面白がれるだけの度量も備わっているはずだから、これでいいのである。嫌なら黙って立ち去るはずなのである。というかこの程度の口汚さで眉をひそめる「いい子ちゃん」などはじめからお呼びではないのである。ほかの凡庸な連中の書いた毒にも薬にもならぬ「日記」を読めばいいのである。

このごろ「二十世紀で最も異彩を放つ思想家」ヴァルター・ベンヤミンの知的魔力に引き寄せられている。この際ちくま学芸文庫から出ているベンヤミン・コレクション続けて読もうかな。このレーベルからはフーコー・コレクションも出されている。これも捨て置くわけにはいかない。腰据えて読むか。きょうは土曜日だから暇人どもが図書館にひしめくんだよな。お前に言われたくないって?  

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