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INTJの方程式
■INTJの方程式
先日、「INTJの核」というタイトルでINTJの核と言える構成要素5つを抜き出して記した。あれこれ思索を深めたり、読み手の方々から洞察に満ちた有難いコメントを複数いただくなか奇遇にも「INTJの方程式」なるキラリと光る鉱物の原石を発見することができた。
ということで、まずは改めて一連の記事を読んで下さった方々、更なる直観へ導いてくれるコメントを下さった皆様へ感謝をお伝えしたい。いただいたコメントに触発され、それを基点に自分なりの思考をそこから発展させたい欲求に駆られてしまった。コメントの主旨とは逸れてしまいそうだが自己流の解釈を敬意を込めて記したい。
■「具体⇆抽象→アナロジー=確信」
【具体⇆抽象→アナロジー=確信】 上記はINTJの思考構造を表す方程式である。INTJの主機能はNiであり、Niで得られた知覚をもとにビジョンを生み出し、それに基づく行動指針と生きる上での信念体系を構築し、殉教者のごとくその信念に誓いを立てながら毎日を静かに烈しく生きている。
INTJの内部でNiが生成される仕組みとして、あらゆる事象に対する具体と抽象の往復と、往復から生み出されるアナロジー(類推)へと至る思考構造が挙げられる。そのビジョン(Ni)はアナロジー構造に基づく仮説(主観的には確信)であり、補助機能である外向思考、TeがNiと共に車の両輪のごとく強力に駆動させることで、タスクの実践、ビジョンの実現へと一心に励むこととなる。タスクの達成(Te)によって仮説(Ni)の精度を実証、分析、評価をし、その有用性や機能性をフィードバックする。INTJには心理機能のペアリングから派生するNi生成の機構、昨日より今日、今日より明日と前進する働きが内部に標準装備されている。
■アナロジー思考とは
ところでアナロジーとは何か。アナロジーを日本語で訳すと「類推」である。著述家の細谷功氏の書籍に「アナロジー思考」という本がありアナロジーとその活用について大変詳しく述べられている。本からの引用によると、アナロジー思考とは既知の事象の理解を未知のものに応用する思考法である。一般に、「ある事象を既存の情報や経験になぞらえる」をしてみたり、「これは何かに似ていないか、別のことにあてはめられないか」と問う行為がそれに該当する。
アナロジーの具体例を挙げてみる。
〇受験勉強 高い目標を掲げた→難関大学に合格できた
であるならば、
〇スポーツ 高い目標を掲げれば→全国優勝できるはず
〇営業活動 高い目標を掲げれば→営業成績一位を獲れるはず
このようにアナロジー思考とは、ある事象から別の事象(具体)との間にある共通点に着目し、関係性、パターン(抽象)を見出し、その理解(仮説)を別の事象に応用する思考法である。したがって、アナロジー思考は仮説思考だとも細谷功氏は著書で述べている。また、思考のポイントは、事象の共通点や関係性を見出すことにあり、いわば全体構造を把握することである。具体⇆抽象によって得られた類推を仮説として掲げ、実行し検証する。このような働きから、アナロジー思考は創造的なアイデアを生み出すための思考法としてビジネスの世界で専ら重宝されている。本来、大変汎用性の高い思考法なので広く涵養され自己省察や対人関係に役立てられることが望ましい。
INTJは主機能Niと補助機能Teをメインに働かせることで、無意識に上記の思考過程を展開している。また、一般的に仮説とされる部類であったとしてもINTJは強い内向直観によって一気に確信、信念にまで跳躍させることが出来る。と言っても実際はこの跳躍が明後日の方向へ大きく逸れることもまま有る。しかし、INTJはこの思考過程に絶対の自信をもっており、たとえ確信、信念の方向が逸れたとしても憚ることなく加工修正をかけて更なる確信を生み続ける。その自信の源は以下のようなところから生まれると推測する。
①INTJの劣勢機能に外向感覚(Se)を持ちながらも各感覚器官が感受してしまう感覚刺激情報の多さ
②それらの情報を基に絶え間なく繰り返される「具体⇆抽象→アナロジー」の精練 INTJは外界、内界のあらゆる感覚刺激情報を自動的にNiを噛ませ感受する。Niを噛ませる=具体⇆抽象と私の中では捉えている。量(感受)と質(精練)により高められ濾過された生成物にINTJは強い確信を与えるのである。
左記にあげた書籍「アナロジー思考」を読み、アナロジーとNiに強い関連性があることに感動したがそれを上手く言語化できず脳内に寝かせすっかり忘れかけていた。そのようなところへアナロジーに触れるコメントを頂戴し、まるで啓示に触れるような思いをしてしまったのだ。
■INTJの孤独が孤独ではない理由
というわけで、INTJは常に頭のなかでこのアナロジーを展開している。直観的知覚を用いて異なる事物、事象が描く全体像や相関、意味性を捉えようともがいている。このような姿が他者にはしばしばINTJが孤独を抱えている姿として映る。しかし、INTJの内部においては、次元が大きく異なる事象、対極的な言葉や概念に対して最適なアナロジーを探求し、固有の考え、アイデアを自分のもとへ手繰り寄せている最中であり、ドーパミン放出中の愉悦に浸っている姿であったりする。
そういえば、ネットの16タイプ診断のINTJ、建築家の説明には冒頭から「トップオブ孤独」という文言が掲げられている。私はそれを思いきって訂正したい。INTJは決して世に言われるような孤独な人間などではなく、いかなるときも事象や概念と共に深い結び付きを伴った人間である。それは、INTJの心の深層に通底する「すべてはつながっている」という直観的概念に確実に結びついていることを意味するものであり、突き詰めれば、人とつながることだけが「つながり」なのではない、と私は声を大にして言いたい。
そして、更にそれを発展させればこれらの事象や概念も元をただせば先人から発せられた言葉であったり思考、概念であったりする。INTJの得意の抽象思考で次元を上げて考えれば、これらの思考や概念もまた「人とのつながり」によってもたらされるものだと考え至ることは想像に難くないし、そこから得られる恩恵の大きさにINTJは敬意と愛情をもって触れることもまた可能なのである。愛情は他者にだけ振り向けられるものでは決してなく、思考や概念に対しても同様に注ぐことができるものなのだ。よって、INTJが孤独であることに後ろめたさを感じる必要は無いし、交友関係が極端に少ないからといって人間性を欠くことなど全く無いのである。おそらく。
かくゆう私もまた今年の誕生日プレゼントは職場でもらった1個のみ、クリスマスはいつも普通に仕事、自分宛ての年賀状やLINEは無く親族間のやり取りのみである。そのぶんプライベートにおける複雑な人間関係、しがらみは一切無いので、視界はクリア、日常はまことにシンプル。自分の内から湧き出でる問いにひたすら問答することだけにエネルギーを注いでいる。それはそれでなかなかにいとわしいが自分にふさわしい生き方だと捉えている。
主題に沿って着地が出来たか大変疑わしくなりました。ですが本当に不思議なものでnoteに記事を挙げると自分が密かに探求したいと願っている問いやヒントを皆さんのコメントが授けてくれることが何度となくあるのです。そのような意味でも私はINTJ的な「つながり」を深く感じています。記事を読ん下さる方、コメントを送って下さる方への感謝の念は絶えません。日々、どうも有難うございます。