折り紙とオトモダチになれなかった私
おそらくだが、子供は「よその子」とお友達になる前から、実はもっとたくさんのオトモダチを作っている。全くの自論だが、「よその子」以外とオトモダチ関係を上手に結べなかった子供は生身の「よその子」とお友達関係を結ぶことに苦労するのではないかと思っている。つまりそれは私のことなのだが…。
子供の心身の発達過程において、同世代の子らと一緒に遊ぶ前に「ひとり遊び」をする時期が必ずある。おおよそ1歳から3歳4歳あたりまでかと思うのだが、この年齢の子供たちは、最初は手に取るもの全てを口に入れたり、押したり引いたり叩いたり。年がいくらか増せばクレヨンで壁を書きなぐったり、あちこちにシールをベタベタと貼り付けたり。とにかくやりたい放題の小さな怪獣である。
そうこうしているうちに、まわりの子供たちの様子を真似てお絵かきを始めたり、一枚の紙からヒコーキを折り始める。子供は、おもちゃとか身の回りの品々を好き勝手いじくるうち、モノの取り扱いを覚えたり、手や指先を使って「モノと関係を構築してゆく力」を自然のうちに獲得してゆく。
このような関係性を築くなかで、子供はまず手始めにモノとオトモダチになる。例えばそれは一枚の折り紙。机に一枚の折り紙があったとして子供がそれを触れなければ何も変わらないし何も起こらない。子供がその折り紙に手を伸ばし、折ったり、クシャクシャに丸めるとその形は変容する。更に折り紙を散りぢりに破いてしまえば一枚の折り紙は一片の紙という変わり果てた姿となる。更にそれを川に流してしまえば折り紙はサラサラと流れに巻かれいつしか目の前から消えてしまう。
子供の働きかけにより折り紙は変化し、その変化を子供が受け入れることで次の行動、次の変化が促進される。絶え間ない情報の出力と入力を繰り返しながら子供は変わりゆくモノを受け入れ、微細な違いを身体機能へと刷り込み、僅かな体の力加減や指先の匙加減を身につけてゆくものなのだ。
モノとオトモダチになれた子供は対象物に対する出入力のパターンを繰り返し変化に対する最適な反応を学習する。そしてそれにより子供は他者と関係を築くことへの自信と動機づけへと強く導かれてゆく。こうして子供たちはいよいよ生身の同世代のお友達を作ることに関心を示してゆくのだ。
何故にこのような妄想を思い付いたのかというと、私自身が幼いころに友達を作ることを大変苦手としていたからだ。
ところで、私は以前に「認知地図」に関する書籍を読んだことがある。そこには、人と地理との関係が脳内における基本的な認知機能の発達に大いに影響している、ということが書いてあった。人は脳内で「認知地図」という架空の地図を生成し、その地図を頭の中で展開することで目的地への最短ルートを想像したり、道順を間違えることなく目的地まで辿り着くことができる。脳内の地図が空間認知能力の発達をもたらすのだ。そして、それだけに留まらず、人は「自分と空間との関係性」を対人関係にも置き換えて認識することで複雑な人間関係の理解とその構築に応用しているのである。
ということは、「人とモノとの関係性」もまた空間と同様、対人関係の構築における基礎的能力に大きく影響を及ぼすのではないだろうか。モノと最適な関係を結べる者は人間関係においても最適な人間関係を結ぶことが出来るのではないだろうか。そんな仮説が不意に頭に浮かんだ。
私は物心がついた時にはすでに「手先が不器用」であることを自分で認識していた。幼稚園に上がる前、園服の上着のボタンを上手く留められない自分が脱落者のように感じ、強い恐怖を覚えて登園することを激しく拒んだ。モノを最適に操作できない自分にひどく嫌悪を抱き、無能感に苛まれた末、それを抑圧し回避する行動に固執した。結果、モノに触れることの恐怖、取り扱うことへの不安がそのまま対人関係構築に投影され、「お友達づくり」に対する強い回避へと至ったのではないかと解釈している。
そんなわけで幼稚園の年少さんの一年間は、先生にも甘えられず、隣りの席の子にも話しかけらない孤立無援の登園拒否児であった。年長さんに入り、些細な出来事がきっかけで事態は好転し、お友達作りは幾分克服した。
このような調子なので、私は、ハサミ、のり、粘土、彫刻刀、リコーダー、コンパス、分度器、お習字、裁縫道具といった幼稚園や小学校の授業で使用するであろう学用品はすべからく苦手である。相性が悪く敵対心すら抱く間柄である。もちろん折り紙とも仲良しにはなれなかった。ピッタリ反対側に合わせて折ることは出来なかったし、折り返しの技術も持ち合わせておらず、大人になった今だって「いびつな鶴」しか折ることは出来ない。
そうゆうわけで、器用に手芸、工作をサクサクと仕上げたり、包装紙で素敵にラッピングするような人、そんな方々をお見受けすると私は無条件に憧憬を禁じ得ない。
だが、一方でモノを取り扱うことが大の苦手であった分、頭のなかの想像力は異常なほどに発達した。子供時代、物質世界で手痛い仕打ちを受け傷心の私はその代替として脳内のイメージや物語の世界、歌や言葉といった抽象概念の世界に逃げ込み、ひとりいつまでもそこに浸っていた。
ユングの心理機能の類型で「感覚タイプ」「直観タイプ」とあるが、感覚タイプとは五感から得られる情報刺激をそのままに知覚、認識するタイプである。故に、情報を情報とおりにインプットするためアウトプット(反応や行動)も素速かったり、的確であることが多い。特に「外向感覚タイプ」はそれが顕著だといわれている。内向直観優位の私は、その滑らかな手捌きや無駄の無い身のこなしに見惚れることがしばしばであった。なので、このようにしばしば考えるのである。私も手先が器用であったならば、もう少し感覚と直観とのバランスのとれた人になっていたのではないかか、社会適応がもっとスムースであったのではないかと。といっても心理機能と手先の器用さに何かの関連があるかは全くもって不明であり、対人関係の苦手さに対するこじつけに過ぎないが。
なお、粗大運動や手先の不器用さにより子供の日常生活に影響を及ぼす場合、その度合いの大きさによっては「発達性協調運動障がい」として発達障がいのひとつとして認定を受け、その子供は療育や特別支援を受けられる対象になることもあるそうだ。ただ、他の発達障がいに比べてその認知度は低い。不器用なだけでは対応すべき困りごとへと発展しづらく、潜在的な人数の多さ(専門家によると児童の6%に該当するとか)に比べ社会における障がいの理解や配慮はあまり進んでいないのが現状らしい。
子供の頃の私は「障がい」と認定される日常生活の支障や不自由さまでとはゆかなくとも、そのグラデーションの端のキワに引っかかるくらいのところに位置していたのではないだろうか、と思うことはある。
心身の発達というものは十人十色、みんなそれぞれによるところだ。それは性格にも通じることであり、人の性格をいくつかのタイプで完全に分けることは出来ない。ただ、指標となり得るものがあることで自分のことを客観的に捉えたり分析をし自身の内面を理解することに役立てられる。そして、そこから更に他者理解、外界の概念理解への興味、関心へ柔軟に広がり、思いがけぬ良い影響が様々に立ち現われてきたりするのではと考えている。
水面に投じた小石の波紋を見つめるように、私のこれまでの軌跡と心のありようをいつまでも捉え続けていたい。そんな風に思う今日この頃である。