見出し画像

幸せの追求

どうも!「ラクに楽しく」がモットーのらくたのです!

いきなりですが!!幸せについて考えたことってありますか?

良い会社に入って、結婚して子供をもって…とか幸せっていろいろとあると思います。

そんな僕はなんとなく「幸せになりたい!」それこそ「ラクに楽しく」が幸せって感じがしているので目指しています。

今回も幸せについて独断と偏見で書いていきます。

自分からか他人からか

世間一般ではよく「公務員として安定した職につきなさい」「結婚しなさい」「家を持ちなさい」etc…

クレヨンしんちゃんの野原家のようなイメージが幸せの形だったりします。
今でこそその風潮は崩れてきてます。でもおかしいとは思いつつ何がおかしいかまでは答えがハッキリしていなくて混沌としている時代でもあります。

でもハッキリしている問題としては「なさい」「べき」など他人からの価値観を押し付けられている点です。

僕は田舎に住んでいるのですが、「車は持ったほうが良い」っとよく言われます。
田舎なので、仕事場にせよ買い物にせよ距離があるため車があると便利なのは分かります。

でも25歳になった今でも車を持つことはないし、これからも必要性を感じない限りないかなって思います。

大事なのは自分が持ちたいという意見を持っているかです。

意見を自分の中に持てているかは反論をすると分かります。

会社の先輩:
「車は持ったほうが良いよ」

らくたの:
「会社との距離が近いので持たなくていい」
「自転車をこいで空気を感じるのが好きなので持たなくていい」
「運動不足解消になるので持たなくていい」
「お金がかかるので持たなくていい」
「普段は家で過ごしているので持たなくていい」
「必要なときは人に乗せてもらうので持たなくていい」
「そもそも興味がないので持たなくていい」

ここまでハッキリと言わなくていいですが、こう伝えると

会社の先輩:
「家族ができたらどうするんだ??」

らくたの:
「そのときはそのときです」

生意気なやつだ!!!!!!って思いますか?

その通りです!!!(笑)

でも自分の意見を持つのはこういうことなのかな~って。

自分の意見を持たずに流されるままに車を買っていたら、

持て余す、お金は減る、場所はとる、運動不足にはなるで自分にとっては良いことが無かったと思います。

そしてそういった違和感に疑問を覚えることなく悪い方向に進むことになります。

車ごときって感じかもしれないですが、進路だとしたらどうでしょうか????

就職や結婚なども他人が理想と決めた状態に流されていたら結果は大きく違っていくと思います。

まずは他人に流されていないか?自分の意見をもって行動や思考をしているか?を見つめ直す必要性があります。

・社会、会社、親、などの自分以外の意見に対して素直にどう思うかを感じる。
・違和感があれば「なぜ?」っと深堀をする。

オススメは書き出してみることです。
自分の感情がずらーって並ぶことで事実を冷静に見極めることができるからです。

幸せの種類と短期と長期の報酬

他人と自分を区別していくと、自然と自分の好きなことが分かってきます。

そもそも生活をしていて、すべてが他人の価値観ってことはないはず…
アニメを見て「面白い」、ご飯を食べて「美味しい」は間違いなく自分の意見で幸せだと感じる。

でもずっと幸せ!って感じでもない…マンネリ感が出てくる…

そもそも幸せの感情って「面白い」「美味しい」「気持ちが良い」「落ち着く」etc…ポジティブです。

でもポジティブな感情だけでは幸せになれるとは言い難いです。

ラーメンがあったとして「美味しい」と感じればそれは幸せなので、毎日食べれば毎日が幸せなはず…ですが、そうならないのが人間ですし本能。

なので日々、色々なポジティブ感情を出せる出来事を行っています。

問題はそのほとんどが短期報酬なのと「幸せにさせられている」というところ。

短期報酬なのは、飲食や愚痴といったすぐに出来てポジティブな感情が達成できるもの。
愚痴はポジティブって感じではないですが、話している最中は楽しいと感じています。お酒を飲むことも同様。

「幸せにさせられている」とは消費をすることによってポジティブな感情を買っている物事。
ゲーム、アニメ、テーマパークなどほとんどが入ります。

これらが悪いということが問題ではなく、現代人の生活のほとんどが上記二つによって幸せを得ているのが問題です。

一見、自分が楽しい!!幸せ!!っと思うことが出来ているので健全ではあるけど、変化していく自分、世界に適応&成長できていないです。

僕は本を読んだり、フィギュアを作成するのが好きなのですが、そのどれもがすぐに幸せ!!っとなる短期報酬ではないです。

ある程度、耐えて進めていくとじわじわと楽しくなってきたり、最後に達成感があったりして幸せ!!!っと感じます。

こういった忍耐のいることは大変だけど継続的にやりがいと達成感を得ることができたりする長期報酬になります。

朝起きたらご飯を食べて「美味しい」、会社にいって同僚と趣味の話をして「楽しい」、帰ってきたらお風呂に入ってさっぱりして「気持ちが良い」「安心する」、その後はゲームをしたりフィギュアをつくって「ワクワクする」

億万長者になって豪遊!とかブランドを身に付けてキラキラ✨のような他人から羨まれるような幸せではなく。

自分が幸せだと感じる短期や長期の報酬を増やしていく過程が人生だと思っています。

幸せの天敵

SNSによくいる成功して豪遊している人、人気者、モテる人、才能がある人など羨ましいですし出来ればそうなりたい。そうなれば幸せだろう…って思うことあると思います。

こんなこと書いている僕は思いますし、今後もその気持ちと向き合って対処していくつもりです。

「隣の芝生は青く見える」のは仕方ないですが、他人の幸せである以上割り切り、自分だけの幸せの形を作っていく必要があります。

他人の幸せを自分の幸せだと勘違いするパターン以外に、幸せを邪魔する天敵がいます。

「飽きる」ことです。

短期報酬ばかりだとダメなのは「飽きる」からなので長期報酬もいるよ!!って書いたばっかですけど、

長期報酬もいずれは飽きます。
延々と同じ趣味を続ける人って稀なのはそれですし、好きなことを仕事にしている人が少ないのも飽きたり、そもそも能力がなかったりする。

僕は昔、指パッチンにハマっていた時期があって毎日4.5時間練習していたことがあります。
最初のうちは全くならないし、理想とは程遠く…耐える時期が続いたけど、ならせるようになってくると成長を感じて、技もドンドン覚えれるようになってきて楽しくなっていきました。

まさしく幸せ!って時期で今思い出しても最高でした。

でも何年かしてくると飽きました。打てる速度や回数に伸びがなくなり、技もほとんど覚えきり、思いつかなくもなる。
さらに指の柔軟性もなくなってきて全盛期より速度が落ちる…
曲に合わせて演奏?していたけど、好きな曲自体がなくなってやらなくなる。

僕にとって指パッチンは長期報酬な体験でしたが、様々な要因が重なって「飽きる」ことになりました。

「飽きる」ことは長期報酬から短期報酬へと変化することだと思います。

すでに自分の限界を知っていて、それがすぐに出来る状態かつ延々と繰り返す状態になったら飽きてしまう。

山あり谷ありっていい言葉

長期報酬から短期報酬への変化の過程は、様々で予測がものすごく困難です。

アニメや漫画でも最初は面白くても後半は面白くなくなってくる。
作者の見せ方、構成の良し悪しの他に自分の興味関心の移り変わりがあったりするから飽きる。

食べ物でもお腹が空いていて、最近お肉を食べていないから今日の焼き肉は格別に感じる。
幸せは状況や時期によっても感じ方は違ってきます。
また焼き肉は焼き肉でもBBQではまた違い、場所や食べる人によっても変わります。

仕事を終えてクタクタになって帰宅…お風呂に入ってサッパリとして飲むビールは最高!(僕はビール飲めないですが、先輩がそういってました)

これはクタクタになっている=不幸な状態があるからこそ得られる幸せだと思います。

「人生、山あり谷あり」って言いますが、まさしくそのとおりで絶対にたいへんだ…!圧倒的不幸だ…!と感じる時期はあります。

でもそういった時期がないと幸せな瞬間を実感するのもまた難しいです。

報酬を追い求めるのもいいけど、たまには立ち止まって過去のたいへんだった時期や不幸と思える時期を見つめてみると今に対して感謝できるようになるかもしれないです。

ちなみにこういった幸せを「マイナスからゼロベースの幸せ」って呼んでます。
短期報酬は「今日の+1の幸せ」、長期報酬は「0→1の幸せ」と「1+1の積み重ねな幸せ」って呼んでます。

「幸せにする」意志が最善

ここまで長々と書いてきましたが、結論として…

自分の人生を「幸せにする」という意志を持つ。
急に根性論になりました(笑)

でもこれしかないです。

体が老化するように心も老化して「飽きる」ので、予防が必須です。
でもとにかく意志を強く持たないと意味がないです。

体に関しては痛みや衰えが目に見えて分かるので、健康になろう!っと意志がグッ!と出て必死になります。
けど幸せに関しては概念のようなもので、よほど注意深く見て、見直していかない限りは分からないです。

分からないということは実感できないので意志も持てず、必死にもならない。だから言動が変化しずに気付かないうちに不幸になっている。

結局は「結果論」、なので今は今で良い

「幸せにしよう!!!!!」って思っても焦るのは禁物

どうしても短期報酬に流されるのが人の本能なので、すぐに幸せになりたい!っと思うのは当然です。
でないと数分のエレベーターや数秒の通信時間にイライラはしないです。

そして幸せはなるのではなく「気づく」「作る」という行動をして結果として得るし、得られるものです。

食べ物を口に放り込んで噛む行動をした後に「美味しい」=「幸せ」ってなります。

すべて結果論でしかないので、「今」に注目することが幸せへの近道です。

「いずれ…」「この問題が解決したら…」など先々の幸せのために今を準備…準備に使って先送りしていると一生幸せにはなれないです。

そもそも全ての問題が解決して万事OK!!!なんてことは不可能です。
お金があっても、有名人でも、趣味が充実していても、天才でも、悩みは大なり小なり絶対にあります。多分、ひろゆきにもあります(笑)

今に集中できない人は一度、自分を振り返って自己理解して見るのがオススメです。自分に自信がない、選択肢の取捨選択ができないから過去や未来へ不安を抱きます。

まずは自分を知って、自分を取り戻すことで今に集中でき、幸せになれる第一歩になります。

追記:悪魔の短期報酬

お酒やギャンブル、喫煙、愚痴など百害あって一利なしと呼ばれる娯楽があります。

幸せではあるけど、代償(時間・健康・お金)が多く必要な短期報酬はやるべきではないとは言いませんが、ほどほどにと僕は思っています。

分かりやすすぎるくらいの短期報酬なのでハマりやすい分、抜け出すのも難しいです。

でも仕事(長期報酬)でも同じことが言えます。
例え成功している人でも仕事が心の逃げ場となっている方は結構います。

社会的な成功をおさめているからこそ仕事の結果が存在証明となっていて縛りになっている。承認欲求を満たしたり、本当に大事なことから逃げる口実に使っているなんてことはよくあります。

何が自分にとって幸せなのかについて視野を高く、広くもっておきたいですね。







いいなと思ったら応援しよう!