9月になれば。
土曜日の午後、インターホンがなった。
出ると新聞販売所の人だった。
「契約更新の手続きに来ました」という。
「今後の契約はもう・・3月にご連絡したと思いますが」
そう言うと
「ですよね」
アッサリと帰って行った。
新聞購読をやめると決めたのは今年の3月の終わりだ。
ここ数年で、新聞代はどんどん値上がりした。
4037円が4400円になり、今年の春には4900円になった。
新聞に告知されるや、すぐに夫と相談し販売所に連絡した。
値上げ幅のあまりの高さになんだか無性に腹が立って
ダメ元で「今月末でやめたい」と申し出た。
しかし「8月まで契約期間になっている」とのことで
そこまでは続けることになった。
当然だよな。
3年前に契約期間に同意したのは、自分なんやから。
でも、あの時はこんなに値上がりするなんて思わなかったしな・・。
30年以上も同じ新聞を読んできた。
朝起きればポストに新聞をとりに行き、チラシと分けてテーブルに置く。
出勤前の夫が読んで、日付に赤い〇を書く。
(もう読んだ)の意味。
そのあと空いた時間に私が読む。
スクラップしたい記事があれば切り取る。
テレビ欄が必要な時間まではテーブルに置いてあるが
一日の終わりに古紙袋に入れる。
500円の値上がりが無ければ、読み続けただろう。
たかがワンコイン。
されどワンコイン。
×12カ月で6000円。
その出費を惜しんで、やめる新聞。
何が変わるだろうか。
生活の中に溶け込み過ぎて、その存在感を改めて感じることは
最近はなかったような気がする。
職場の人にそんな話をしたら
「え、まだ新聞とってたん?マジか〜」
「毎月5000円とか、もったいないで。
大きなニュースは勝手にスマホに出てくるやん」
私の周囲の人は、もう誰も新聞を読んでなかった。
春、不意になったインターホンの画面の中に小さくなって消えていった
新聞販売所の人。
背中が落ちていた。
もしかしたら
同じような言葉を返される事が続いていたのかも知れない。
そういえば3月の末に電話した時、本当に辛そうだった。
「新聞は誰もが読むことが出来ない贅沢品になりました。
こんなことを配達してくれる方に言うのは気が引けるけど
今が止め時のような気がします。
キツイ言い方してごめんなさいね」
そう言うと
「いいんです。皆さん同じこと言われますから・・」
力のない声だった。
9月になれば、もう新聞は来ない。
ニュースはテレビやスマホが伝えてくれる。
折り込みチラシは、特売チラシアプリをダウンロードすればよい。
自ら望んだことなのに
どこか腑に落ちず、心がざわざわとしている。
私にとって、新聞はどんな存在だったんだろう。
9月になれば、その答えがわかるだろうか。