やっちゃば一代記 実録(43)大木健二伝
やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
オリンピックを境に日本は経済大国へとまっしぐらに突っ走ることになるが、大木もそうした時代の風を背景に、オリンピック選手村への野菜納入に
強い意欲を見せた。選手村の住人は九十三の国と地域五千五百人余り。料理の賄いは帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオータニなど有力ホテルで、大木の店は小野正吉氏の肝いりで野菜指定納入業者に推薦された。
なにより見知らぬ野菜に目を凝らした。このとき大木はトレビッツ、エシャレット、ズッキーニなど後年、手掛ける野菜の多くを知ることになる。
十月十日の開催日から二週間、毎日が刺激的だった。イタリア料理、スペイン料理、ロシア料理、フランス料理からエスニックまで胃袋と目を満喫したものである。
国境を感じさせない万国共通の野菜はジャガイモ・タマネギ・ニンジンだが、大木がびっくりしたのが米国の選手。生野菜を馬車馬のごとく食べるのだ。野菜で体力が付くものだろうか?と不思議に思った。もっとも肉料理も豊富で、米国人は総じて大食いなのだ、米国には自分以上に食いしん坊が沢山いるだろう、と大木はまだ行ったことのない米国の食生活に思いを馳せた。