郵便屋さんとスーパーカブとその日常。2
バブル期から令和を駆け抜けた元郵便屋さんの思い出エッセイです。
このnoteへの投稿があまり馴染めないもので、今回からこのエッセイはアルファポリス。カクヨミで多重投稿されてるものをまとめて掲載する形にしました。前回までを1として今回から2として続けていきます。よろしくお願いします。
最新話はアルファポリスかカクヨミでよろしくお願いします。
真夏の郵便屋さん 自転車編。
みなさんは真夏の配達では体感温度は何度あると思いますか?
実際測ったことはありませんが40度は超えてるのは間違いありません。
近年では気温が38度を超えることも当たり前のようになり、焼けたアスファルトからの照り返しの温度も半端ではありません。
8耐ライダーは2人〜3人で8時間走りますが、郵便屋さんは1時間の休憩(ピットイン?)はありますが、1人で完走しなければなりません。しかも毎日。
熱中症で倒れる職員も珍しくありません。
夏は本当に地獄です。
さて、自転車での郵便屋さんを始めたこの頃の私はどうだったでしょうか?
相変わらず炎天下で自転車を漕いでます。汗だくで。そりゃもう滝の様な汗で。
私の夏のスタイルはTシャツに、その当時に流行った砂漠やジャングルでも探検する様なサイドにポケットが着いたちょっとダボついたカーキー色の半ズボン。それにタオルを首に巻いてスニーカーでフラフラになりながらひたすら自転車を漕いで配達します。
1990年頃では最高気温も36度を超える日はほとんどありません。ですが日差しは強烈なので帽子を被ろうと思い立ちました。
普通に野球帽タイプを被ろうかと思いましたが真っ先に頭に浮かんだのは、釣りキチ三平!!今の人ならワンピースでしょうか?
そう夏と言えば麦わら帽だろ!?と麦わら帽子を被って自転車で配達する郵便屋さんがここに誕生するわけです。
ただでさえ年末年始以外で自転車で配達するアルバイトが珍しいのに麦わら帽子で配達してるので私の配達地域ではちょっとした有名人になりました。
麦わらのお兄ちゃんと。
その当時、私が勤めてるA郵便局には3人の自転車配達員がいまして、1人は職員の方、もう1人は私と同じアルバイトの方なんですが、その方は体系がお相撲さんの様な体型の方でその方もA郵便局界隈ではちょっとした有名人。そこに麦わらの郵便屋さんが現れてちょっとしたカオス状態でした。
麦わら帽のまま配達先のパン屋さんで郵便を渡してパンを買ってくもんだからお店の方もすぐに顔を覚えてくれて話しかけてくれたり売れ残りのパンをサービスしてくれたり、別のお客さんではお茶やジュースをくれたりと顔を売るには良かったように思えます。
まあ、郵便局内ではまた変なヤツが1人現れたなと思われていたようですが。
そうやって自転車配達も慣れてきた青年にやがて転機が訪れようとします。
では、今回はここまでで。
ご愛読ありがとうごさいました。
国家公務員時代の郵便屋さんの試験の裏話。前編。
暑い夏の日が続いてますが、その頃になると郵便屋さんの仕事にも慣れてきて、さっさと配達しては公園の日陰のベンチに麦わら帽子を顔に掛けて昼寝をする余裕も出てきました。
大学生の友人達は私が住んでいる地方では有名な遊園地でバイトを始めてすごく楽しそう。
300円払ってハンマーで台を叩くとカエルのおもちゃが飛んでいってうまくカゴに入れば景品がもらえるって感じの出店あるでしょ?
遊園地内のそういうコーナーのバイトをしていたら職員の女の子と仲良くなって彼女ができた!とか。
そういう話を聞いたら年頃の男子ですからね、羨ましくて仕方ない!
もう、数ヶ月も郵便屋さんやってるから親父の友人にも義理立てできただろう?
郵便屋さんのバイトを辞めて俺も遊園地でバイトして彼女欲しい〜!と思うわけですよ。
そんな中、「郵便局の試験をうけないか?」と声が掛かるわけですよ。
自分の人生ですからね、これ以上大人の意見に振り回されたく無いと。俺はフリーターになりたいんだ!
なぜなら、このバブル期では郵便屋さんのバイト時給や職員の初任給より遥かに一般フリーターの時給の方が高いんですよ!後に正局員になった私よりも大学生でバイトしてた友人の方が稼いでいましたからね。そして男だらけの郵便屋さんと違って同世代の女の子もいる職場。
年頃の男の子がそういう職場に憧れない訳ないじゃないですか?
しかし、そういう訳にもいかずに願書は出されて郵政外務職員の試験を受ける事になりました。
この当時の郵便屋さんは天下の国家公務員。
試験区分は3種類ありました。
* 郵政外務職員 主に郵便配達の仕事。集配課という部署に配属されます。
* 郵政事務A 主に郵便局での窓口業務の仕事。郵便窓口で保険や貯金、荷物の引き受け等をやります。
* 郵政事務B 主に郵便局の内務業務で郵便物の仕分け等の仕事で三勤交代もある仕事。郵便課という部署に配属されます。
この試験区分で1番楽そうだなと思ったのは郵便窓口業務の仕事でしたが、実はこの郵政事務Aは大学受験を受ける気持ちでないと到底受からない難関でした。
つまり、私の頭では無理。
で、郵便課の内務の仕事。郵政事務B。
内務の仕分け作業の仕事です。
外に出る仕事より中の仕事の方が良いなあ。でも、三勤交代がある事は夜中も働くのか?これはこれで大変だなあ。
とりあえず、外務職員と郵政職員Bに願書を出す事にしました。
次回ではちょっと今では信じられない裏話を。
バブル全盛期のこの頃も今と変わらず集配員の人員不足は深刻でした。
でも、今と昔では人員不足の理由が違うんです。
それはなんでしょうか?
次回をお楽しみに。
今回もご愛読ありがとうございました。
国家公務員時代の郵便屋さんの試験の裏話。中編。
今回はバブル期の郵便屋さんの人手不足の主な理由を述べたいと思います。
何度も言いますが、時はバブル期最盛期!ジュリアナトーキョー!!の時代です。
流石に東京のジュリアナの様にはいきませんが、私の地元でも商業施設の最上階に男性はスーツにネクタイでないと入れないディスコができ、その商業施設を取り囲む道路では夜な夜なディスコで遊んだ女の子をナンパに来る車で溢れかえったり、まさにバブル。
数年後にバブルが弾け、そのディスコも閉店になるわけですが、私が住んでいる田舎でもこの騒ぎです。
この当時の一流大学生の就職内定率はめちゃくちゃ高く、卒業までに内定が4、5なんて普通で、どの会社にし・よ・う・か・な?とトランプの様に選ぶ程です。
企業の方も人材をライバル企業に取られたく無いから青田刈りと称した、内定を出した大学生に就職支度金としたちょっとしたお小遣いを渡したり、事前研修と謳った小旅行に連れて行ったりしてなんとか我が社に就職させようといろいろやってたみたいです。
このバブルの象徴を表す言葉に3高というものがありました。
* 高学歴
* 高収入
* 高身長
高学歴、高収入は分かりますが、高身長というのはいかにもバブルらしいでしょ?
とにかくスマートにカッコいいものに憧れる時代でしたからね。
ソース顔より醤油顔がウケる時代なんですよ。
そしてさらに3Kという言葉が流行り始めます。
* 汚い
* きつい
* 臭い
今では標準語になっている超ウケる〜とか、超ムカつく〜の"超"が付く言葉も若者言葉としてこの頃に生まれました。
そんな華やかな時代の郵便屋さんの就活状況は人材確保で大変だったようです。
この時代の郵便屋さんは天下の国家公務員。
採用さえされれば後は安定した給料。安定したボーナス。安定した福利厚生。安定した休み。安定した勤務時間。安定した…と、とにかく安定した職種です。
が、とにかく給料が安い!!もう本当に泣けるぐらい安かったのです。
他の企業と比べても同じバブル期を過ごしてるのがウソみたいに安いのです。
その当時の高卒の私の初任給が残業含めて手取り 約13万円。
つい先日まで、まだ時給が680円〜800円の高校生活時を含めバイト生活でのお給金に比べると
「やった!こんなにもらえるんだ!!」と大はしゃぎ。
まだ、世間を知らないピュアな年頃です。
で、地元の大手企業に就職した友人に初任給を聞くと…
手取りで約18万円。
これには腰を抜かしました。
バブル期とはいえ給料格差が民間企業と公務員とでは大きな開きがあったのです。
* 令和の現在、郵便屋さんになりたがらない主な理由。
令和の現在でも郵便屋さんは人手不足ですが、先程にも述べた3Kが主な理由です。
夏は異常に暑い。冬は寒い。雨でも当然配達。一般道の排気ガスの中バイクで配達(鼻毛もよく伸びます)正月、お盆も当然仕事。
交通事故の危険性はある。
体力仕事でもある。
* バブル期の郵便屋さんになりたがらない主な理由。
バブル期最盛期での民間企業の売り上げ高に対して、どんなに収入があっても基本給にはほとんど響かない公務員。
さらに3K職種とくれば郵便屋さんになりたがる人なんていません。
バブルで儲かるウハウハな企業でガンガン稼ぐのが普通な世の中で、給料の安いお堅い公務員の人気の低い事、低い事。
公務員なんて面白みのないクソ真面目な人がやる職業だと負のイメージがこの当時はありました。私にもありました。
そう、とにかく給料が高い民間企業に就職できる門が大きく開いてるのに、給料の安くて地味な国家公務員の3K職種にわざわざ就職したがる人なんて少ないのです。これがバブル期の郵便屋さんの人手不足の大きな理由です。
で、人材確保の為に郵便屋さんのお偉いさん方もあの手この手と奇策を考える訳です。
その奇策とは?
後編に続きます。
今回もご愛読ありがとうございました。
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