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腑に落ちるのは突然
喪失感。
それは、多様な事。
大事な物や人、ペットであっても別れや失う事で感じる感情。
私の場合は身近な人を亡くしたという、喪失感。
人生において、1番のストレスと言われている。
人によっては、この感覚は数年、長い人では10年以上掛かると言われている。
ずっとその誰かや何かを思い、悲しみや後悔といった様々な感情と共に生きていくのだ。
父の時は覚悟が上回っていたから、すぐに受け入れて、時々もっと何かしてあげたかったと後悔して泣く事はあった。
ただ、半年位でそういう感覚もほとんど無くなっていた。
娘は約4ヶ月を過ぎて、最初の2ヶ月が体調不良と不安定な感情に振り回されていた。
どうにかしたくて、調べるうちにグリーフケアという言葉を知って学び始めると、精神的な自分の弱さをとも向き合い始めて、心の勉強も始めた。
そして、その内面をさらけ出し、どうやって立ち直っていくのか、いかないのか…。そういう事をnoteに載せてきた。
とにかく、出てくる感情や思い浮かぶ嫌な風景、そういう物との向き合いから始まった。
逃げずに、嵐の中でただ立ち続ける。
悲しいのは大好きだったから当たり前。
過去は変えられないけど、精一杯の事はしてきた。
優しい娘は、私が泣いて暮らす事を望んでいない。
出てくる感情を、そうやって自分が納得出来る言葉で包み込んでいく作業。
人それぞれのやり方はあると思うが、あとは考えるだけ考えて、これ以上ない不確かな答えはそれ以上追わず、心の中の瓶に詰めて蓋をしめて一旦置いておく。
また蓋は空くけど、また考えては閉めて置いておく。
最終的には、
【誰も悪くない】
【娘の決めた道を肯定する】
【これからも大好きと伝え続ける】
そういう感覚が定着してきた。
あとは、規則正しい生活を無理矢理でもする事。最低限、食べる事。動く事。祈続ける事。
そして、今の私は突然【第一次腑に落ちた期】に入った気がする。
ふっと、考えてた事が自分の中に溶け込む感じがしたのだ。
それに、ホルモンのバランスが崩れる時期でも、涙が出てきたりしなくなった。
前まではnoteで書くのも、泣きながら書いている事が多かったが、それもピタリと無くなった。
そうは言ってもまた、跳ね返ってくる波が来るに違いない。
実際、旦那は夜、夢で魘されて飛び起きたりしてしまう。
それを宥める私も、平静を装っていてもザワザワして早起きしてしまう。
もしも、今、悲しみのどん底に居て、もう立ち直れないと思っている人がいたら、ここに辿りついて欲しいと願う。
喪失感は何年も続くものでもない。
ただ、向き合う覚悟は必要で、苦痛も伴う。
そして、悲しみが完全に消える事は無い。という事。
今も、父の当時の振り返りを綴っているが、やっぱり悲しいとも思うし、娘の事を振り返るのはまだ出来る事ではない。
どこがゴールなのか?そういう話であれば、人それぞれで数年掛かるという事にはなるのかもしれない。
ただ、人間の最後は決まっていて、それが分かっていても受け入れ難いのが、それもまた人間なのだと思う。
私はこれからも、ここで発信し続けつつ、どこが最終到達地点となるかを考えていきたいと思う。