ささやか
私の父と息子の思い出の記録です。 じいちゃん好きの孫。じいちゃんも自慢の孫。友達みたいに仲良しな2人。でも、お別れしなきゃならない運命の物語。
去年、父を肺がんで亡くしました。 小さいながら事業をしていたので、泣いてる暇も無く、葬儀に後片付けに追われて年が変わった。 父譲りで、じっとしていられない性格。 悩んでいる位なら、働こう!と思って、チェーンのラーメン店でパートを始めるも、激務に喉を壊し、戦線離脱。 その後、花屋のパートを見つけて働き出し、ここなら続けられそうだと思っていた頃。 高校生の娘が自分で命を終わらせました。 ちょっと違う世界が見える子。 中学の頃から明らかに周囲と馴染めず、途中で学校に行
誕生日を迎えてしまった。 私は通常でも祝われる事は好きではない。 それは、幼い頃から祝われる習慣が無かったからだと思う。 ただ子供が出来た事で、子供の誕生日に関しては【産まれてきてくれてありがとう】という気持ちを表現する為の日。として、その時出来る限り盛大にお祝いしていた。 しかし、子供が大きくなればそこまでやる必要もなく、欲しいという物を買って、美味しい物とケーキを用意する位になった。 それでも、親の私としては同じ気持ちだ。 ずっと精一杯の事はしてきたつもり。
今日は、涙が出てきてしまう。 何故だろう。 あぁ、こういう日なのか。 車を走らせて、お気に入りの場所に来た。 私は水辺が好きだ。 上から川を見下ろして、周囲にはちょっとだけ色付き始めた紅葉の木々が私を囲んでくれる。 水が沢山の岩を掻い潜りながら、一定のリズムで流れていく。 流れながらも、端の方で少し休憩したりもする。 鳥が何かをくわえて水辺を通り過ぎ、柔らかい風が、木々や草をほのかに揺らす。 大きく息を吸い込んで、少し冷たい空気で心を冷やす。 自然のなか
奇跡みたいな一時退院1週間を過ごせた。 これから治療を頑張る、という父の決心に私は別の場所で頑張る事にした。 再入院して約1週間後、父から電話が来た。 「チューブ、まだ取れなくなっちゃったんだよ。」(咳き込みながら話をしている。) あまりに辛そうなので、事情を聞こうにも話が上手く聞き取れない。 担当医から何をするかの説明もなかったのだ。そうすると、翌日電話が鳴った。 担当医からの電話だった。 「チューブを1度閉じてみて、肺が機能してくれれば良かったのですが、廃液
今日は心がザワザワする。 理由は分かっている。 朝から旦那に娘の事で悩んでないか、聞いてしまったからだ。 前ほど頻繁ではないが、寝言に近い状態で「寂しくなっちゃって。」と言って枕に顔を埋めていたのが数日前。 新車が来て、ウキウキしていたけれどそれも落ち着いてきた。 仕事も普通に行っているように見えるけれど、疲れた表情が仕事の事なのか、娘の事なのか気になってしまったのだ。 「俺が全部面倒見るから、付いて来てくれれば良い。」 私が悲しみに暮れていると、そんなカッコいい
今日は煮る日になった。 料理は好きな方で、何を作るというより冷蔵庫にある物、安売りのものを買ってきて、組み合わせて作る。 今日もお肉コーナー、お魚コーナー、安い物を見て回る。 大抵買ってくるものは決まっているが、値引きシールに負けて、今日は鳥の手羽先を買った。 魚はカレイが安かったので、決まり! 形の悪い大根が100円だったので思わず握りしめて籠に入れる。 あとは、お弁当用にサツマイモと厚揚げ。安売りのオクラもゲット! これで、何とか今日と明日は大丈夫。 そう思って家
1週間の期限付き、かなり厳しい条件付きであったが一時退院が出来た。 そして、何かあれば即入院も免れて、完璧ではないが孫と家族と仕事仲間と時間を共にした父は、凛々しくなっていた。 病院に向かう途中。 「悪いが、コーラ買ってきてくれるか?炭酸が飲みたいんだよ。」 私は衝撃を受けた。 医者から食べ物や飲み物の制限は無かったけれど、グリーンダカラが好きと言っていたからそればかり買って飲ませていたのだ。 「もしかして、ずっと飲みたかった?言ってくれれば買ってきたのに。」 「
朝から暗くて寒い。 この所3時か4時には目が覚めて、そこから軽い動悸がしてなかなか眠れい。 自律神経の乱れがなかなか落ち着かなかった。 肩こり、腰痛。痛くて眠れないなんて当たり前と思う事にしてきた。 ただ、精神的に良いとされる散歩、瞑想をやってみたり、お風呂上がりのストレッチ。体重が戻らないのはエビオスを試している。 ほかにもちょっとした事も取り入れながら生活をしている。 いつか効果が出ればいいな…。位の気持ちだった。 しかし散歩は毎日やっていると、習慣になって
一時退院最終日。 この日は息子の誕生日で、この日のお祝いの為に、看護師さん達の協力もあって一時退院できた。 まさか、ちゃんと1週間外に居られるとは思いもよらず、1日1日が喜びだった。 父は昼間知人が来るからと言っていたので、夕方、シャワーを浴びるのとお誕生日会を一緒にやる事になっていた。 とにかく、誕生日らしいメニューを作る事になって、主役の息子にも手伝ってもらって、父の好きなものもたくさん用意した。 穴子の天ぷらはさすがに無理だったが、穴子の照り焼きがあったのでそれ
「今日は寒い!上着必要だからね。」 朝、ゴミ捨てから帰ってきて、朝の準備をする息子に私は声を掛けた。 20歳なのだから、その位ちゃんと出来るでしょ?と、いつも思うのだが、ちょっと呑気というか、マイペースな息子に一応言っておいた。 駅まで車で送って行くのは私の日課。 時間ギリギリで車に乗り込んでくるのが息子の日課。 「あのさ。」 時間がないので、乗り込むと同時に発進! 「もうちょっと緊迫感持って寒いって言ってくれない?」 隣を見ると、上着を着ていない。持ってもい
一時退院6日目(土曜日)は、大好きな穴子天ぷらを食べて、その後床屋に行く予定だった。 しかし、朝訪問看護の人が背中のチューブの消毒をしてくれた時、固定している糸が外れていると言い出した。(背中に直接縫い付けてチューブを固定している。) 看護師さんが病院に連絡してくれた。 今日は土曜日。 「救急外来で診てくれるって話になったから、行けますか?」 スマホを一旦耳から外して私に聞いてくる。 …今日の予定が。と思ったが、何かあれば関わってくれてる人達に迷惑が掛かると思って、「
時間はちゃんと進んでいて。 娘とお別れしてから、3ヶ月半が経過しようとしている。 自分が壊れてしまいそうになりながらも、何とか藻掻いてここまできた。 けれどふと自分の心の中を見ていると、藻掻いている事が余計に自分を苦しめている気がした。 心の中に浅い湖みたいなものがあって、ただそこに浮いていれば何も起きない。 でも、今は小さな波が来ただけで慌てて溺れてしまいそうになる。 でも、落ち着いて考えてみれば、今は足が着く浅さになっていた。 怖くなったら足を着けて立てばいい
1ヶ月ぶりに叔母に会ってきた。 クリスマスローズの苗をもらう約束をしていたからだ。 これは、約束をするという事で他の誰かと話をする事も目的としている。 叔母は娘の事を知る、唯一の親類。 時々電話をして、励ましてもらっている。 叔母もまた、娘さんを病気で亡くしている。たくさんの苦労をしてきた事も知ってるが、明るく前向きに、とにかく何かをしている人だ。 裁縫に、庭いじり。とにかく、悩むなら体を動かすか手を動かすという人。 私は不安だらけで、考えてフリーズするから、叔母
気持ちを書き出す事で、【アウトプット】する事で不安が落ち着く。 そういう話を聞いて、noteを書いてきた。 ただ、私は少しやり過ぎたみたいで、気持ちを掘り起こし過ぎた事で、余計に不安定になってしまったようだ。 不安症が悪化したというより、娘への思いが溢れ過ぎてしまった【喪失感】のが原因だと思う。 今、私は不安とパニックを抑える為に薬を飲んではいるが、全ての不安がなくなる訳ではない。 娘の死は、ある程度の落とし所に落ち着いて、自分の性質的な物との向き合いをしている。
先週からかなり落ち着いてきた。 穏やかな週末を過ごせた。 久しぶりにドラマを観続けられた。 庭にある大きくなりすぎた金木犀の木の剪定を始めた。 穴だられの障子の補修をした。 病院で薬をもらってこれた。 エビオス買って飲んでみたら、食欲が出て体重が少し増えた。 ただそんな事だけれど、やりたい!とか、出来る事が少し増えた。 また落ちるかもしれないと、心のどこかでは不安ではある。 でも、続けている散歩。 木々が色付いてきて、違う顔をしてきた。 季節が変わる。
三連休がピークで、 考え込み→落ち込む→泣く→腑に落とす のループを繰り返していた。 ただ、何度も腑に落としているうちに、この作業は早く終るようになってきた。 自分とも向き合っていた事もあって、不安な事やグルグル思考を落ち着かせる為に、瞑想を始めてみる事にした。 ただ、今日は寒さが突然きたせいか、1人がとてつもなく淋しく思えて、その気持ちと向き合っていた。 この、淋しいを少し咀嚼して消化する為にはどうしたら良いのか…。 ただ、毎日少しだけでも進んでいる実感はあって、