自分の脳との会話
「ストレス脳」という本を読んでいる。
私としては元々も持ち合わせている、人より過敏な不安感を感じる部分と、パニック持ちである事、今回の娘の事でPTSDが疑われた経緯もあって興味を持った。
軽く読んだだけなのだが、なぜ人間は不安を感じるのか、不安を通り越してパニックになるのか、PTSDだとしたらどう乗り越えるのか…。
簡単に言うと、不安全般は脳の本来持つ機能であって、生き残る為に必要であり、不安が無くなる事はないという解釈でだいたい合っていると私は読み取った。
不安は無くならないが、薄めていく事が出来る。それには、何度となくある程度の不安と向き合い続けなければならないのだ。
そう考えると、頭が痛くなる。
しかし、自分でコントロール出来る事が出来たら、これから先の人生においてだいぶ楽に生きられるのではないかと思ったのだ。
年を重ねれば何かと不調も増える。
不調との戦いは、不安との戦いでもあるのだ。
今日の私であれば、1時間おきに目が覚めて、5時には起きている。体はだるくて仕方ない。
しかも、娘の事があってから体重も体力も落ちていて、万全ではないがパートに行かなければならない。
不安にならない訳がないだろう状況。
しかし、もっと体調が悪い日でも先週はパートに行って何とかなったのだ。
しかも、体調が悪ければ帰って良いと言われている。行かないで後悔するなら、行って後悔しようと思うのだ。
それは、不安は脳が防衛反応を起こして、ある事ない事勝手に考えているだけだから。
そして、そうやって生きている人達がたくさんいる。生きていくとはそういう事なのかもしれない。
これは、勝手な自分語であって、心の中を整理する為のメモみたいなもの。
どこかの精神科医が、鬱病などのゴールは何か?という質問に「仕方ない…と思えるようになる事かな」と答えていた。
仕方ない。
私が不安を感じるのも、私の身に降りかかる不幸な出来事も、良く眠れなかった事も。
仕方ない。
でも、とりあえず1日やってみよう。
朝の憂鬱の中で、私は必死にこの言葉を脳に刷り込んで動き出そうとしている。