見出し画像

納骨は大きな気持ちの区切り

納骨をする決意を固めた。

私個人はお骨は、最後の残った形あるものだと思っていて、そこに娘が居る感覚はない。

ただ、残ったものだからこそ近くに置いておきたいという気持ちも分かるのだが、気持ちの整理が一旦ついたからこそ、眠らせてあげるべきなのではないかと思った。

納骨するといっても、お墓を買ったわけではない。
これから先を考えると、お墓は息子の代に迷惑を掛けてしまう。
永代供養も考えたが、大勢が居る中に入れてしまうのは、静かな環境が好きだった子を突然そういう場所入れるのは可愛そうに思えてしまった。

コインロッカーも考えたが、結局ロッカーも永代供養で1回入れたら出せないという場所しかなかった。

あとは旦那が、自分が死んだら永代供養でいいから、娘の近くに埋めて欲しい。という願いがあった。

最終手段。
私は父と母のお墓と仏壇を管理している。
兄が居るのだが、全てを拒否したから私が預かっておくという形で持っている。
だから、今も父と母が仏壇にいて、その手前に娘の遺骨を置いている。

最初から3人で一緒にいるのだから、姓は違うがお骨も同じ場所に入れてもいいんじゃないか?という発想になった。

父と母のお墓も親戚の手前、私が管理しているが、いずれ墓仕舞いをする予定だった。

だから、ちょっと隙間に入れさせてもらっておいて、時期を見てまた考えようという話になったのだ。

これを考えて、納骨をしようと決めたけど、胸がチクリと痛む自分もいる。
ずっと置いておく人もいるんだから、ゆっくり考えていいんだよ。と言ってくれる人もいる。
けれど、私はどこかで区切りをつけるべきだと思っている。いつ納骨するにしても、多分胸がチクリとするに決まっているからだ。

だったら、本来あるべき場所に入れてあげる事が1つの供養の形なのかと思うのだ。
そして、お墓も仏壇も、いつも綺麗にしてあげて、手を合わせてあげる。

また体調を崩すかもしれない。
けれど、ちゃんと見送ってあげた。
家に帰してきてあげた。
毎日、お線香にお茶にご飯をあげてきた。
今度は、遺骨を埋めてあげる。
今までやってきた事の、締め作業みたいなものだ。
やり遂げられる。
悲しいに決まってるけど、生きてる人間は進まなきゃいけない。

これからもちゃんと想い続ける為に、あと少し頑張らなきゃと思うのだ。

いいなと思ったら応援しよう!