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自分の脳を騙して適当に【楽しい】と思わせておく
感情は引っ張り出してくれば、悲しいの一色にする事も出来る。
書く事も、寂しい。悲しい。で埋め尽くす事は簡単なのですが…。
私はあえて【楽しい】と思える方向で考える様にしてるので、こういう話題になりがち。
泣くだけ泣いた後も、わざと口角をあげておく様にしてみた。
本当かは分からないが、口角をあげているだけで脳が楽しいと勘違いする。と聞いた事があったからだ。
さらに、脳という臓器の記憶装置は、嫌な記憶は定着させるけれど、正確に覚え続ける事は難しい。らしい。
(PTSDの場合は専門医の治療が必要です。)
だから、嫌な記憶も出てくる度に、「これは良い記憶なんだよ。」と、語りかけてみたり、自分の中で白黒にしたり、違うイメージを付け足してみたりした。
すると、嫌な光景が出てくる頻度が減ってきて、思い出しても不快とは思わなくなってきている。
とにかく、刷り込み、書き換えが可能だと分かった。
嫌だな〜。という感覚は思い出す。けれど、その光景はどんどん消えていく。
そして、その、嫌だな〜。さえも、別に嫌じゃ無くしていける。気がする。
書いている自分も、今の時点で意味不明になりつつある今日の文章。
さらには、突如として襲われる不安の対処も、この置き換えをマスターしていく事で、克服できそうな気配がある。
混雑した飲食店。私の苦手な場所の1つ。
その時に実践したのが、自分に喝を入れてみるという作業。
まず、どんな気持ちになるかというと、「全部食べれるかな。吐いたりしないかな。人の声がうるさいな。」と、嫌な気持ちに支配されて、不安で逃げ出したくなる。
まず、1つづつ。
「全部食べなくてもいいでしょ?残ったら残ったで、帰れば良いだけでしょ?」
「吐くなら吐けばいいさ!っていうか、お前もう何年も吐いてないのに、今日の今、吐く?」
「皆様楽しく食事をしたいんだから、お前も楽しくお喋りでもしながら食べたらいいじゃないの?」
1つ1つの不安に寄り添って、口角上げておき、喝を入れているうちに料理が到着。
食べる時にも不安が来たら、「今のやる事は食べる事。美味しいって言いながら、ひたすら食べる!」そう思って食べるに集中する。
全般的に、【今ここ!】を実践している感じではある。
あとは、不安な時は心拍数が上がるので、瞑想コントロールも有効だと分かってきた。
ちょっと背筋を伸ばして、遠くを見る感じで、深呼吸。
旦那に「そんなに、ラーメン作ってる様子が気になるの?」と突っ込まれはするが、
「そうよ。元ラーメンチェーン勤務なもんで。」と、さらりとかわして、深呼吸。
実際、キッチンが見える飲食店は作っているのを見るのが楽しかったりする。
そういう、【楽しい】を見つけるのも、不安から気を逸らす工夫の1つでもある。
普段している散歩も、しばらくは自宅から離れすぎると、「ちゃんと帰れるかな。ここで倒れたらどうしよう。」と、心臓が高鳴って頭がグワンとする時があった。
やっぱり【楽しい】作戦なのだが、好きなラジオを聴きながら歩く。
その日何とも無ければ、次の日また距離を伸ばす。
あとは、口に出すのも私には効果があるので、「楽しい。楽しい。」とつぶやきながら歩く。(ちょっと怪しい人に見える。)
もっと歩くと決めた日は、即効性の安定剤をお守りで持っておく。
そんなんで、1日30分程度の散歩が出来るまでになった。
普通の人が難なくしている事も、こんな労力を使っている。
でも、少しづつ自信が付いてきている。
ふと夕方に「あれ?今日、朝、安定飲んだっけ?」という日があった。
1人の日で、外出もしたし、散歩も行っていた。
多分飲んでいないのだが、そこそこ気分良く過ごせていたのだ。
心の安定に繋がる事で、散歩と瞑想、バナナとヨーグルト。晴れた日は陽の光を浴びる。
欠かさず続けている事。
そういう積み重ねが、不安とパニックが紐付いてしまっている体に、緩みを与えてくれているのか?
まだ完全証明は出来ないけれど、良いに違いない。
こうやって改めて整理して書いている行為も、また、自分の脳に言い聞かせる1つの手段でもある。
楽しく無くても、努めて【楽しい】って置き換えるか、【楽しい】を見つけていくと、脳の中が【楽しい】と思いがちになっていっているのは、間違いないと思う。
そして、本当に楽しい事は、思った以上に楽しく感じる事もある。
脳は意外と適当な所がある。と分かってから、騙し戦法を使ってみている。
困難な状況で、そこまで考えが至らない時は、なかなか出来ないと思う。
体調が悪かったりすると、私もそんな事考えている余裕はないし、【楽しい】だけでは解決出来ない事も多い。
でも、忘れて欲しくないのは、悲しい、寂しい、だけに囚われない生活は必要だと思う。
1日の中で、少しでも囚われない時間があったら、その一瞬を大事にして欲しい。
そういう積み重ねが、【楽しい】に繋がっていくはずだから。