母のメッセージ
お料理をしていく中で「アク」に出会うことは間々あります。
「アクとて、元々素材からでたものであり、旨味のひとつでもある!」と、私に教えた人がいました。
若い私は疑う余地はなく、後々「単にすくうのが手間なのかな」と思うようになりました。
その頃は、外でも働く家事も育児もする、アクをとる場面など排除したい日々でした。
時短などという言葉はまだ広まってないのですが
とにかく時間にいつも追われていて
手早く1日の仕事をこなしていく事だけを最優先させていました。
私が新米ママの頃には、楽しそうな育児雑誌は殆ど無く
堅い教科書のような「完璧なお手本」ばかりで
「三歳育児神話」や、布おむつや母乳に対する絶対的信頼度も
当たり前の時代でした。
誰も正解を教えてはくれないし
良いも悪いも例にも当てはまらない
誰も応えてくれない中、赤ちゃんは泣き通し、夜も寝ない・・・
病気かもしれない、理由が解らない・・・
育児書には「◯◯であるべき」という満点を記してあるから
また焦るし、怖くなる・・・という悪循環でした。
新米ママは、娘2人の夜泣き4年間も、体力だけで乗り切った記憶があります。
あの頃の自分はガリガリに痩せこけて余裕が無く、あまり会いたくない風体です。
その頃の自分は体力はあるけれど、経験も知恵も皆無でした。
立ち止まる勇気も、今を見直すゆとりもありません。
命を背負った責任と、それを守り育てることで精一杯でした。
愛すれば愛するほど、私にとって「命」は重かったのでした。
ましてやアクをすくうなんて考えもしないですし、そんなメニューは最初から排除です。
「命を育てることの邪魔をしないもの」が選択肢の全てでした。
その頃の自分に会えるなら「大丈夫、休んだって大差ない!」と
本当に言ってやりたいです。
今は娘も独立して、夫婦2人の暮らしです。
相変わらず粗末な料理ですが、やっと「こしらえること」に手間をかけられる機会が増えて来ました。
「こしらえること」に楽しさも感じることが出来ています。
そしてそれを感じられる日常が、何よりの感謝です。
「アクとて旨味のひとつである」と教えたのは、何を隠そう私の母でした。
そう言い切る大胆さが、あの頃の私には必要だったのかも知れません。
母は働き者でしたが、お料理は苦手な兼業主婦でした。
それは忙しい母が生み出した「自分を潰さない生き方」だったのかも知れません。
やっぱり未熟な娘の私に教えてくれていたんですね。
残念ながらそれをくみとる力が、私には備わっていませんでした。
あの頃の「いっぱいの私」も、よく頑張った時代として受け入れつつ
これからは気負わずに、アクとりすら楽しんで
今度は娘たちへ「私からのメッセージ」を伝えていけたらと思います。