泣いてもいいよ
あまり人前では泣かないのですが
人目を気にする余裕もなく
ハラハラと涙がこぼれた時
思えば、いつもそばに優しさがありました
悲しいとか、寂しいとか、その時の感情を
自分で噛みしめる暇もなく
勝手に涙がこぼれていた事があります。
💐最初は「小学校の卒業式の日」
さほど学校が好きではなかったし、家に居たかったから休みも多かったのに
ましてや地元の公立の学校なので
一ヶ月後には、ほぼ同じ顔が同じ地元の中学に上がるはずなのに
式が終わって各教室の自分の席に座った途端、私の号泣が始まりました。
何であんなに泣いたんだろう・・・クラスメートは雑談していましたっけ。
そしてとうとう先生も教団に立ち、話し始めたのに
あまり私が場違いな嗚咽を止められないでいたので
隣の席の男子が、私の机にそーっと教室の花瓶を置きました。
おかげで私は花瓶の🥀花に隠れて、思いっきり泣き続けました。
💐ある日次女が「アイドルのオーディションを受けたい」と言い出しました
まだ幼くて、とても恥ずかしがりやな次女でしたが
やりたいと言った事は応援しよう・・・という事で始まり
書類審査が通り、会場へ行って、2次、3次と流れて
とりあえず、その日の選考予定を終え、発表を待ち・・・
結果、審査を通って、また後日次の審査という知らせを受けたとき
オーディション会場で、私の母に結果を報告しました。
困った!涙が止まらない・・・母も一緒に泣いています。
「ここまで受かって嬉しい!」のではなくて
あんなに恥ずかしがり屋で内向的な次女が
人前で「意思を持って、何かをつかもうとしている」・・・
その健気な姿に、涙が止まりませんでした。
勿論、オーディションは始まったばかりで
「泣く場面」では全くありません。
でも電話口の母は、同じ温度で同じ気持ちを共有してくれたと思います。
「自分のお腹から出てきた子」の感覚は、良い場合もそうでない場合もあり
賛否両論あるかと思いますが
確かに私の奥底に、いつまでも残っているのです。
💐最後は父が逝った時
たくさんの思い出と、行き違いと、愛情と、建前と、本音と
当たり前にあった親子関係で
最後の最後に帳尻合わせのように、溝を埋めあった入院生活の後
父は私の手の中で逝きました。
あんなに父として強くいたかったのに、私の手に命を委ねて亡くなり
あんなに私のそばに居たかった母は、私から離れるように亡くなり
抱えきれない感情に、声をあげて泣きました。
それでも、私のそばには家族がいてくれました。
「一人じゃない」と、そばにいてくれました。
心が、自分の力ではどうにもならない場所まで飛んで行ってしまった時
何も言葉は必要なくて
ただ自分の心を掴んで戻って来るまでの間
そっと、一緒に待っていてほしくて
そんな時、そばにいてくれた人たちに
ただ、感謝です・・・。
幸せの涙は、互いに寄せ合って
心が迷子の時には
誰かの「そんな場所」に、なれたらいいな・・・💐と思います。