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等身大の暮らし
少しずつ無理が効かない事が起き始めたからこそ
人との距離も、ものとの距離も、小さな覚悟が出来ました
若い頃は「友達がたくさんいる事」って大事な要素でした。
ランドセルを背負ったら「友達100人」のセオリーがありました。
今考えたら、なんて頑張り過ぎな生き方なんだろうと思います。
学校でも、会社でも、ママ友でも
「仲の悪い人」は、なるべく作らない様にする自分がいましたし
「一緒にいる仲良し」は、どの場面でもいました。
でも何故か、家に帰ると不機嫌で疲れてました。
もしかしたら、仕事の疲れより
人疲れの方があったかも知れません。
自分をオープンにして、腹を割った関係性を作るほどのエネルギーは無いのが正直なところで
「今、築いている良好な関係性」を守る事で、いっぱいだったかも知れません。
そろそろ自分の生き方の最終章が、近づいて来たと思える年齢になって
人との距離を考えるにあたり、もう頑張らなくていいかも知れないと
思い始めています。
もちろん人に対して不快な感じや
ガサツな心無い言葉でも良いと思うのではなく
もっと自然に求めたり、断ったり
自分のライフステージに沿った関係性を、築いて行こう思っています。
若い頃の様に、いつでも何でも共有するのではなく
目に見えない感じ方や、考え方が共有出来る人とは
あえて何の考えを持たなくても
一緒にいて楽しい時間が過ごせるかも知れないと思い始めています。
私の感じる事、考えた事に「興味」を持ってくれる人
私に、ハテナ❓を持って質問してくれる人
そんな人と話している時は、楽しいし🌿感謝です・・・
よく年季の入った夫婦間で、会話が弾まないと言うのは
「相手に対する興味と関心」が少なくなったからと言われます。
実際、うちでも私ばかり話している時もあり
そんな時は「この話題に興味が無いのか、自分に関心が無いのか・・・」
と考える事もしばしばですが
もともと「人に興味がわかず、自分にだけ関心がある人」っていますし
そんな時は「朗読」をしている気分ですが
私もあまり考えない様になりました。
これも夫婦間の距離のとり方の見直しで
力を入れず気分を変えて、相手だけを責めるものではない…
という気持ちの持って行きようです。
自分が疲れている時は、相手も疲れているし
自分も休みたい時は、相手も休みたい。
お互い仕事が「免罪符」にはならない時代に生きているのだから
上手く相手にも手を貸して貰って
生活を立てなくてはならないのです。
それには自分も、機嫌良くなくては始まらないし
相手にも機嫌良くいて貰う必要があります。
100人100通りの感じ方を認めよう!という流れの中では
自分も相手の想いを、受け入れる覚悟を持たないといけない気がします。
家族は良い意味でも、悪い意味でも「とても近い存在」ですね。
もちろん生活を基盤としているから
友達の距離感とは全く別の意味合いがあります。
でも、共通点はあると思うのです。
それはなるべく「風通しが良い状態」を、守る事
それには自分の感情を、まず身軽にしておかなければならないと思います。
同時に「相手の思い」を、バランス良く考えること
関係性を考える時、自分と相手のパワーバランスが崩れると
「無理を前提とした仲」になってしまいます。
無理が築く関係は、いつか破綻する事をずっと学んできました。
お金がたくさんあっても、私を必要としてくれて、関心を持ってくれる
そんな人の心は買えないのだから
私は私を育て、身軽な生き方をしていく事で
繋がる縁が切れないよう、願うことしかありません。
それが今の私の「等身大で暮らす事」です。
追記
ギャラリーでお借りしたのは
「まるこめ」さんの作品です🥀ありがとうございました