出会い~茶友
京都四月「都をどり」百五十回記念公演という華やかな舞台を楽しんだ。
娘むことのご縁で娘とご招待いただいた。二十余年前にも夫と観劇の機会があり当時とは観客もずいぶん変わっていた。
街中もテレビ・ニュースのとうり「まるで外国に来たようネ」と語るほど
国際色豊かで舞台は源氏をテーマにあでやかで心踊らされた。開演前には
お抹茶の振る舞いもあり虎屋製桜焼印のじょうよ饅頭も美味しく菓子皿のお土産まで頂戴した。
帰途人出を避けて横路地を抜けた。小路には表とは異なる人々の暮らしがある。その中で静かに茶の湯文化も育った。
私のような者まで、その一端の楽しさをいただいている。
六十余年前、京都の短大に入り茶道部では宗匠方のご指導いただき又、紫野大徳寺塔頭寺院でもお稽古に恵まれた。地方とは土壌が違い広く市井の中にその文化はありかかわりあって、おおらかで楽しいお茶を経験した。
この二年間は寮という共同生活の中でお着物姿等のユニークな教授陣の授業はもとより神社仏閣巡り、美術館巡り、そして映画三本立ての二館巡りとスリリングでエキサイティングな思い出いっぱいの時を過ごした。
そんな経験を持って結婚しお茶とは疎遠となりながらも里帰りすれば茶の湯のおけいこいただいた先生宅にはご挨拶に伺った。夫と転勤の地を共に歩き大阪勤務で奈良に着地。京都時代の茶友とは年賀状で繋がっており思いがけずお茶のお誘いをいただいた。茶道部の延長線上にある同好会のようでメンバー八名。各々にそれなりの茶歴をもたれた個性豊かな集まりだった。慣れる程に私も自分なりのお茶をと願うようになった。
幸運にも転居改装することになり私のプレールームお茶室を持つことが出来た。高額な壁土は避け炉もはめ込み式。来客時にも使用できるフラットな原そう床とした。茶友の助言と応援をいただきながら転居後三か月で茶室開きとなる。
灰の準備。お炭は友人のプレゼント。お道具も彼女たちの贈り物だったり、炉縁も大工さんが廃材で作ってくださった。自前の輪島塗のおなつめは時を経て美しく輝いた。
今まではおよばれだったが自宅でのセッティングは大変なりにも私も元気。夫は料理担当。次女も手伝ってくれ充分に楽しむことができた。月ごとに変わる床飾り道具組みをめで、そしてお料理も各家ごとに整えられた手料理は美味しかった。
当日大阪黒門市場や京都錦市場又、金沢からピチピチのお魚をお取り寄せされるお宅もありお味は専用店に劣りはしない。私はこの家巡りの家庭で整えられる味の何よりの美味しさを知りました。
自宅でお釜をかけられる方が五人程いて一か月ごとに巡りお食事、お濃茶と何よりもおしゃべりを楽しんだ。
又車好きの方がいて旅行もご一緒したり美味しい名店巡りも(ひょう亭、菊水、平野屋、嵐山吉兆等々)。作法を心得た方々との会食はとても気持ちよかった。おしゃべりをしながらも同時に食べ終わる。周りをよみながら、側りながら残り物はない。いつも完食!
あんなに嫌だった茶の湯げいこだったが人生の後半出会った茶友からいただいたものの大きさ。なんという贅沢な時間だったことか・・・
この茶友の一人も旅立ってしまった。集まりも加齢とともに自然消滅に至り互いに遠い存在になった。
私は今感謝の中で「南方録」を開き岡倉覚三著「茶の本」、桑田忠親著「千利休」を読み利休居士の声を聞いている。聞いたかと問えば食ったかと答える。
自然界は緑の季節。庭には花柚子に蕾がいっぱいつき、あげは蝶が花の番地を訪ねてくることでしょう。
皐月八日
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