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【仏教】東日本大震災と「勿忘の鐘(わすれなのかね)」


【活動報告】
2021年3月11日14時46分、真宗寺では門徒役員さんと共に「勿忘の鐘(わすれなのかね)」をつきました。

「勿忘の鐘」とは、陸前高田市の本稱寺のご住職、佐々木隆道さんの呼びかけから始まった取り組みです。

本稱寺は2011年、東日本大震災の津波被害により、寺院が全壊するなど大変な被害を蒙りました。

被災後、隆道さんは「〝 忘れないでください 〟。それが被災地の一番の願いです」と語られ、真宗大谷派仙台教区では、この言葉に呼応する形で、翌2012年から継続して追弔法要をつとめてきました。

その活動の一環として、津波に流されながらも、土中から発見された本稱寺の梵鐘とともに、全国各地、それぞれの場所で同じ時刻に鐘をつき、法要を勤める取り組みが「勿忘の鐘」です。

さて、真宗寺の2021年3月の掲示板の法語で、

「急がずに 力ゆるめず ひとつずつ 春の彼岸の 佛具を磨く」

という短歌を紹介しました。その中で、

《仏事に限らず、心を込めて準備をするということは、大事なものに出くわした時に、その尊いものを「忽せ(ゆるがせ)にすまい」、「粗末には迎えまい」という心の”お備え”でありましょう。》

と紹介しました。

仏事を営む際、お花や線香、お菓子や果物などを”お供え”しますが、仏や故人を大切に思って、それらを準備されるお気持ちや、費やした時間そのものが何よりの「おそなえ」でしょう。

これを防災の話に敷衍すれば、何か地震や津波などの有事に備え、防災グッズを買っておいたり、避難訓練をしたりという行為がどれほど重要であるか、痛感させられる思いがします。

陸前高田市の防災士、佐藤一男 さんという方からは、あるインタビューのなかで、「避難所運営をしながら考えたのは、災害が発生するから問題が発生するんじゃないんですよ。普段の生活で、なあなあでなんとかやり過ごしていた問題が、噴き出す。それが避難所生活です」と言われています。

有事に備えた防災の取り組みにもいろいろとありますが、まずは、東日本大震災でつらい思いをされた方を「勿忘」と偲び、また、「自分はそういう目には合うことはないだろう」と漠然と思っている楽観的な意識を切り替え、「天災は忘れた頃にやって来る。だから勿忘。自分も被災者になる可能性は十分にあるんだ」という意識で備えることが大事なことじゃないかなと思います。

南無阿弥陀仏 合掌

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