【お寺エッセイ】23年3月31日の日記
今更なのですが………
法事抄⑩
23年3月31日の日記
●慶讃法要で関西に行った荷解きもほどほどに、お葬式があった。生前ときどき話したことがあるおばあちゃん。数年前に先立たれた旦那さんは、「柊原の歴史誌」という自家資料を作成された地元の功労者。その活躍のかげに、おばあちゃんのお支えがあったことは想像だに難くない。実は私もその歴史誌を所持している。「お寺をやっていくならこれが役に立つから是非読みなさい」とひとからいただいたのだ。私が今「柊原のお寺」を謳っていられることの根本に、この歴史誌が多大に活きている。
私は「柊原の歴史誌」を手に掲げ、最初のほうのページをめくってお見せして、私のうちにもおばあちゃんからの御恩が息づいてます。ご遺族の皆さんには尚のことでしょう。もらった優しさも、交わした会話も、共に囲んだ食卓も、今もこれからも、あなたの命のうちに一枚となって、ずっとはたらきつづけてくれるものがあるでしょう、というようなお話をした。
その後の諸々の進行を終えて、喪主の方が声をかけてくださった。「まさか今日「柊原の歴史誌」を目にするとは思いませんでした。私も持っています。それをここで見れて、本当にうれしかったです。ありがとうございました。」と。
そう言ってくださって私も心から「ああ、よかった」と思ったことでした。
●ただ私には式を無事遂げられるか不安もありました。というのも、関西ではずっとうっすら鼻血で、2日目はものもらい😢…。そして一昨晩から右足の甲がパンパンに腫れています。昨晩から右足がパンパンに腫れていて、やっとかっと足袋を履いて、式の間にかゆみや痛みが我慢できるかと内心焦っていたのです。
嘘みたいな話ですが、京都に行く前、右足をミツバチに刺され、京都では同じところをムカデに噛まれ、兵庫ではまたそこを、名前もわからない虫にやられたのです…。
自分の足は毒虫に人気。
●京都帰りに大きなカバンを一つ紛失した。着替えや本やお土産を入れていた。空港にもバス会社にも問い合わせたが見つからない。帰りのバスに積み込んだ気がするんだけどな。出てくるといいな。
●午後は掃除して花手水作った。そして「会計監査」。これもまた大変だった!
終わった後は、場所を移して会食。勿論ずっと座りっぱなしではいきません。焼酎を入れたり、飛び込み飛び出し参加の方の運転をしたり。慌ただしくも料理はとてもおいしかったです。けど、途中、乗せてもらった車で運転手さんが操作を誤り、電柱に激突してしまいました。幸い人的被害はありませんでしたが、かなり衝撃でした😖