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思考の学校で学んだこと(自己責任?)

思考を学ぶとき、「目の前の現実で起きていることは自分が100%起こしていることかもしれない。」という前提で自分を探っていきます。
楽しいことは自分が起こしているのは分かりやすいのですが、辛いこと、悲しいことなどは自分が起こしているとは考えにくいものです。
初めてそのお話を聞いたときに、巷で流行りの「自己責任論」か?と思いました。

私は大学在学中から病院で勤務しているのですが(医師や看護師ではないです。事務職です)、職業柄健康について学ぶ機会が多いです。そこでマイケル・マーモット著「健康格差」という本を読みました。
病気になったとき、その人の責任でそれは起きたとされるし、それが悪いと言われることがあります。自己管理がなっていないという考え方です。
それに対して、健康は個人の責任だけではなく、社会、世の中の仕組みが健康を奪っているのではないか、という考え方があります。「健康格差」は後者の考え方を事例や客観的事実を積み上げて論じている本です。
なるほど、と思うところがあって「自己責任論」は好きではありません。
貧乏なのも、高血圧症になるのも、不運なのも、離婚するのも(これらは例であって、私のことではありませんよ〜)自分の人生は全部自分が悪いんだ〜と言われ、自分を責めまくってもいいことは起きません。幸せになるのとは違う気がするのです。
かと言って全て自分にとって都合の悪いことは世界が悪いからである、世の中が社会が悪いから自分はこんな生き方しか選べないんだ、というのも違う気がするのです。それじゃあまりにも自分が可哀想です。
私にはちゃんと選択肢がある。世界がどんな状態であったとして、どのような生き方をするか自分で選ぶことができる。
そんなふうに信じたいのです。

で、縁あって大石洋子さん(現:宮増侑嬉さん)の本を読んだり、YouTubeを見たりして潜在意識との関わりをちゃんと勉強したら、自己責任論とは全く違う話だと知りました。ただし、ものの見方は変わります。

昔、「エースをねらえ!」という漫画の中で地獄と極楽の話を読みました。
地獄には大きな皿に山のようなご馳走と長いハシが置いてある。そこにいる人たちはハシが長すぎて自分の口に食べ物を運ぶことが出来なくて、世界中を呪いちらしているのだそうです。
極楽にも同じものが置いてあるのだそうです。ところがそこではその長いハシで「まず あなたからどうぞ」と向かい合った者の口の中へ食べ物を入れてやり、互いにいつでも満ち足りて仲良く暮らしているのだそうです。
地獄にも極楽にも同じものがある。

この話は当時中学生だった私に衝撃を与えました。
しかし、いつしか忘れていましたが、思考の学校ではこれを教えてくれていたのでした。

自分を救えるのは自分であり、慰め、幸せにするのも自分なのです。

ところが、これを自分に落とし込むには、まだまだ気づかなければならないことがたくさんあるのでした。


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