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怖くて開けられないこうり
実家の押入れの中には、怖くて開けられないこうりが2つある。
いつからあったのかはわからない。
行李(こうり)とは
昔、衣類を収納したり旅行や引っ越しの時に荷物を入れて運ぶのに使われていた柳や竹で編んだ箱形の入れ物。
かぶせ蓋となっていて、縄で結ぶとそのぶん荷物が多く入り運ぶことができた。
こうりの歴史は古く、江戸時代には大名から町人まで広く普及したのだという。
今でいうならプラスチックの衣装箱のようなものだろう。
こうりは、祖母が持っていた物だと思われる。
まさか曾祖母ということはないだろう。
何十年と開けられることがなかったことだけは確かだ。
いったい中には何が入っているのだろう。
施設で暮らす父に会いに行った。
今や認知症も進んでいる父。
もしかしたら 私のことはもう誰だかわからないかも知れない。
元気でいてくれるだけで良いという思いで行った。
家を出てから新幹線に乗り約5時間。
面会は20分しか許されていない。
父は私の顔を見るや否や、私の名前を言ってニコリとしてくれた。
良かった。
それだけでもう充分私は嬉しかった。
施設の配慮で、面会時間を少しだけ多く許してもらう。
実家の片付けを少しずつ進めていること、いらない物を捨てることを父に伝える。
そして私は実家へ向かった。
築50年になる実家は今やあちこちガタガタのぼろ家だ。
庭の真っ赤に紅葉したもみじが、私を迎えてくれた。
あるじのいない家は、まるで魂が抜けたかのように存在だけしている。
それでも庭の木々は、今でも生き生きと成長し息づいていた。
確かな命がここにある。
人間の勝手な事情で、この大きく育った木々を切り倒すのはあまりにも残酷だ。
いずれはそんな運命の日がやって来るのだろうけれど。
貧乏をし苦労をしてきた両親だった。
米を買うのがやっとの時もあったことを、私は子供ながら覚えている。
一軒家を建て庭にたくさんの木を植えることが、両親の夢だったのだろう。
一生懸命働き念願の家が出来上がり、新築祝いをした時はさぞかし嬉しかったに違いない。
しかし後に子供がこんなに苦労することを考えていただろうか?
と部屋を片付けながら、私はゴミ袋の山をまとめる。
今日は雪が降った。
これから実家は寒くて厳しい冬がやって来る。
片付けは春になったらまた再開しよう。
その時、私は2つのこうりを開けられるのだろうか?
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お茶にしましょう
白蜜がけ 黒蜜がけの
うす葉かりんとうパリパリ
どっちがいい?
今日は温かい緑茶にしましょうか