戦後の昭和の総理大臣②
前回の①に続き、総理大臣がどんなことをしてきたか説明していこうと思う。
池田勇人
1960年から1964年まで在任し、高度経済成長を促進したことで知られています。彼の主要な施策には以下のようなものがあります:
1. **所得倍増計画**:この計画は、日本経済の成長率を加速し、国民の所得を10年以内に倍増させることを目指しました。
2. **産業政策の推進**:彼の政策は、製造業、特に自動車、鉄鋼、電子工業の発展に重点を置いていました。
3. **国際協力**:日本が経済成長を遂げるためには国際社会との協力が不可欠であると考え、アメリカや他の西側諸国との関係強化に努めました。
これらの施策は、日本の「奇跡的な経済成長」の基盤を築くのに貢献しました。
佐藤栄作
1964年から1972年までの長期にわたって在任し、多くの重要な施策を行いました。彼の主要な施策には以下のようなものがあります:
1. **オリンピックの開催**:1964年の東京オリンピックの成功は、佐藤栄作の任期中の重要な出来事で、日本の国際的な地位を高めました。
2. **沖縄の返還**:1972年にアメリカから沖縄を返還させることに成功し、これは日本国内で広く評価された外交政策の一つです。
3. **経済政策**:佐藤栄作は、池田勇人の経済政策を継続し、日本の高度経済成長を支えました。
4. **社会保障の充実**:彼の在任中には、社会保障制度の充実が図られ、福祉国家への基盤が築かれました。
5. **非核三原則の提唱**:核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を提唱し、これが後に日本の外交政策の一環となりました。
これらの施策は、日本の国際的な地位の向上、経済の安定的な成長、そして国内の社会保障体系の強化に大きく貢献しました。佐藤栄作の政治的遺産は、今日の日本社会にも多大な影響を与えています。
田中角栄
1972年から1974年まで日本の首相を務め、多くの注目すべき施策を実施しました。彼の政策の特徴は、積極的な経済計画と地方へのインフラ整備に重点を置いていた点にあります。主な施策は以下の通りです:
1. **日中国交正常化**:田中角栄は、1972年に日本と中華人民共和国との間で国交を正常化しました。これは冷戦期の重要な外交政策の転換点となりました。
2. **「日本列島改造論」**:この計画では、全国のインフラ整備を促進し、都市と地方の格差を縮小することを目指していました。特に、新幹線や高速道路などの交通網の拡大が含まれていました。
3. **経済政策**:田中角栄の政権下では、積極的な財政出動と公共事業により経済成長を図ろうとしました。これは、後のバブル経済の基盤を作ることにもつながりました。
4. **政治スタイル**:「金権政治」と呼ばれる彼の政治スタイルは、地方への配慮を重視するものでしたが、後に政治腐敗の問題を引き起こす原因ともなりました。※
5. **環境政策**:田中角栄はまた、環境問題にも取り組み、1971年には環境庁を設立しました。
田中角栄の施策は、日本の経済と社会に深い影響を与え、その強力なリーダーシップは今日でも議論の対象となっています。
※ 田中角栄の金権政治は、政治資金や経済的な影響力を用いて政治的な支持や権力を獲得し、維持する手法を指します。具体的には以下のような特徴があります:
**巨額の政治資金**:田中角栄は、企業や団体からの巨額の寄付を集め、これを政治的な影響力を拡大するために使用しました。
**公共事業の配分**:政治資金を提供した企業に対して、政府の公共事業を優遇する形で恩恵を与えることがありました。
**派閥政治の推進**:自身の派閥を強化するために、政治資金を利用し、派閥内の支持を固めることがありました。
三木武夫
1974年から1976年まで日本の首相を務め、いくつかの重要な施策を実施しました。彼の政策は、主に政治改革と外交政策の見直しに重点を置いていました。主な施策は以下の通りです:
1. **政治改革**:田中角栄の金権政治の後を受けて、三木武夫は政治の透明性を高めるための改革に取り組みました。これには、政治資金規正法の改正などが含まれています。
2. **行政改革**:行政の効率化と公務員制度の改革を推進し、政府のスリム化を目指しました。
3. **外交政策**:ベトナム戦争終結後の東南アジア諸国との関係強化を図り、日本の平和と友好を基調とする外交政策を展開しました。
4. **環境政策**:公害問題に取り組み、環境保護のための政策を推進しました。
5. **福祉政策の拡充**:社会福祉の充実を図るための施策を実施しました。
三木武夫の在任期間は短かったものの、彼の政策は政治の透明性を高め、公正な政治運営を目指す基盤を築くための一歩となりました。また、外交や環境保護においても、新たな方向性を打ち出しました。
福田赳夫(たけお)
1976年から1978年まで日本の首相を務め、いくつかの注目すべき施策を実施しました。彼の政策は、経済安定化と国際関係の強化に重点を置いていました。具体的な施策には以下のようなものがあります:
1. **経済安定化策**:福田赳夫は、高インフレと経済停滞の問題に対処するため、財政規律を重視した経済政策を採用しました。これには、公共事業の縮小や政府支出の抑制などが含まれていました。
2. **円高対策**:当時の円高問題に対処するため、通貨政策の調整を行い、国際市場での円の価値安定を図りました。
3. **外交政策**:福田赳夫は、日米関係の強化や欧州諸国との関係改善に取り組みました。また、中国との関係強化にも努め、日中国交正常化後の二国間関係の進展に寄与しました。
4. **福祉政策**:社会福祉の充実にも注力し、国民の生活安定と社会保障の強化を目指しました。
5. **行政改革**:三木武夫の政策を継承し、行政の効率化と公務員制度の改革に取り組みました。
福田赳夫の政策は、経済の安定化と国際関係の強化に焦点を当てたものであり、彼の在任期間は日本の対外関係と国内経済の安定に向けた重要な時期となりました。
※後の総理をする福田康夫は、福田赳夫の息子である。
感想
この時期は、高度経済成長と呼ばれる時代で、池田勇人の所得倍増計画を始めとする政策が成功を収めたようだ。特に、田中角栄の金権政治によって、政府と大企業の密接な関係が形成されたのも、成長の一因である。
このような政策は一概に悪いとは言えないが、国内市場に依存するだけでなく、円高を活用して海外に進出する企業の増加や、教育の国際化をもっと推進しても良かったのではないだろうか。
余談
三木武夫と福田赳夫総理は連続して、「たけお」総理であった。なおどちらの総理も知らなかったが笑
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