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敬う気持ち
子供時の恐怖心
祖父が、食事時にいつ怒りだすか?子供ながらに怯えていました。
婿である父の言動が気に入らないと箸を投げ、おかずの入った器をびっくりかえし、祖母や母が止めるのも聞かず、暴れ出す祖父がいて、食事の時間がいつも緊張感に包まれていました。
子供心にとても恐ろしく、不安な記憶として残っています。
こんな事があると楽しい食事時間がカラーから急に白黒になってしまうイメージでした。
祖父の思い出
私の祖父は若い頃、戦争に参加し、その後シベリアで抑留されました。極寒の地で過酷な労働に従事し、厳しい環境下で生き延びました。数年後に日本へ帰国しましたが、その経験は祖父に深い影響を与えたと思います。
私が幼い頃、一緒に寝ていたとき、時折戦争の夢を見てうなされて、夜中に大声で叫ぶことがありました。それだけ辛い戦争の体験が記憶から消えなかったのでしょう。
普段の祖父
毎朝、まず神棚にお参りし、仏壇ではお経を唱え、それから朝食をとり、テレビでニュースを見て、新聞を読む。
そして稲作や畑の農作業、庭木の手入れなどし
規則正しい生活をしていました。
年賀状は毎年、万年筆で全て手書き。計算が得意で、計算機を使わず、手書きで筆算していたメモ書きも見かけました。
印象深いのは、その頃、身につけていたふんどしを毎日、自分で手洗いし、自分で干していたことです。
とても几帳面で働き者だった思います。
しかし、自分の感情をうまくコントロールするのが下手で人間関係に苦労していたのではないかと思われるのです。
私は、小さな時に祖父の暴れる姿を見て恐怖心のようなものを植えつけられ、大人の顔色ばかり見てしまう癖がついてしまっていました。
しかし、辛い戦争、シベリア捕虜生活を経験し、それでも生きて帰ってくれた祖父。
真面目に汗を流して働き、一所懸命生きて、私達たちに命を繋いでくれたことに感謝したいと思います。