パニック障害4 完治まで
診療内科で診察を受け(パニック障害3をご覧ください)
投薬を受けました。結果的にほとんど飲まなかったのですが
(薬に抵抗がありました)
お守りとして常に持ち歩くようになりました。
その頃から不安神経症のような症状が出て来ました。
毎週水曜日に夫が出張することになり、自分と子供だけの夜が怖くなりました。
子供に何か危害を加えてしまうのではという、妄想が出て来て水曜日が恐怖になりました。
私の憔悴ぶりを心配した両親が、水曜日ごとに泊まりに来てくれました。
美味しい料理を沢山持って…
お父さんお母さん ありがとう😭
両親のその後については後で少しずつ書いていきます。父は5年前に亡くなりました。優しくて大大好きでした😭
子供の行事にも代わりに参加してくれて、仕事終わりに毎週泊まりに来てくれた両親。感謝してもしきれません。
パニック発作は起きていたのですが、少しずつ減ってきました。
まさに薄皮を剥がすようにと言う感じでした。
広場恐怖は頻尿が1番の症状だったので、特定の条件の時は大人用紙おむつをするようにしてからは安心感が出て落ち着いて来ました。
友人の家での集まりに行けるようになりました。
子供の友達家族、沢山遊びに来る子供
家の中に常に他人がいる状態。子供の友達も泊めていました。
気がついたら発作が遠ざかり予期不安も減っていました。
体の緊張も無くなりました。
紙おむつとお守り代わりの薬があれば出かけられる所が増えていきました。
大好きなアーティストのコンサートに行けた時は自分に感動しました。
コンサート会場は閉所、自由がききにくい、大人数の人、人、大音響など広場恐怖にはかなりハードルが高く、一生行けないと思っていましたから
その後症状がだんだん出なくなり、予期不安や広場恐怖もなくなりました
パニック障害がいつの間にか治っていました。
心気症は相変わらずですが、パニックの激しい恐怖や日々の辛さからは完全に開放されました。
その後関わっていた仕事で、バスツアーを自分で企画して、仕切りからバス内での進行、現地の案内や生産地の方との交流会などをしました。
パニック障害で苦しんでいた過去の自分に、将来こんな事が出来るようになるよ〜っと叫んであげたかった。
嬉しかった…
当時はいつまでこんな事が続くんだろう😭
なんで普通の人は朝元気に起きて普通に暮らせるんだろう…
他人が羨ましくて仕方ありませんでした。
息をするように生活出来る事が夢のようでした。
手足が痛むとか熱が出るとか体の病気の方がずっと良いのに…とも思いました。
普通に暮らしている人は全部憧れでした。
朝起きて、美味しくご飯を食べて、心も体もこわばる事なく生活できる事。
特別な事は何もない幸せ
小さな不満はあっても、不満だけを考えられる幸せを味わえる人間になったと思います。
10Kg減った体重は戻り、現在はさらにプラス10Kgになり💦とても立派な体格です🫢
厳しい経験でしたが、心の病気がどんなに辛くて苦しいかを知りました。
今苦しんでいる方へ強く共感できる事は大きいです。
精神を安定させるアロマや呼吸法など
を、少し勉強しています。
当時の発作時に知っていたら、楽だったのではと思いました。
精神疾患の方からのSOSがあった時はアロマの瓶を持って出かけて一緒に呼吸をします。
私は医療従事者ではありませんが、少し公的なお世話係という立場で動いています。
ご近所付き合いが薄い時代ですが、
誰かが、助けや助言を求めている時。
力になって欲しいと思った時に声をかけて頂く事が多いので、共感力の高さが信頼に繋がっているのではと、少しだけ思っています。