日本語が苦しい「わたし」の不在。主語をもとめて
日が変わって、今日は息子の誕生日だ。9年前の今頃は、酒臭い夫がグースカ寝ている隣で、はじめての陣痛を味わっていた。かいがいしい助産師さんと、故 吉村正先生の深夜の励ましに感激しつつ。
子どもたちの誕生日前夜はいつも落ち着かなくて夜更かししているような気がする。お産をもう一度リアルタイムで感じているような、そんな高揚感。
長女の卒園入学はじめ怒涛の4月。しぼりだすような、重箱の隅を突くような角度で、あらゆる出来事に心を揺さぶられてきた答えが、この数日噴火して、同時に大きなストレスだった物理的な環境も劇的に変化する中、、一つ書き置こうと思う。
子どもたちをみていて実感するのは、言語能力の高さだ。末っ子の2歳児も、細かく助詞を使い分け、伝わっていないと感じると、あらゆる表現で言いあらわそうと努力するのが分かる。
それは言葉通り、、
ことばどおりに受けとる。
ということでもある。だから小さいときから、言葉遣いというか、伝え発する内容そのものにも、ものすごい神経を使ってきた。
子どもに嘘をつきたくないという気持ちや、余計なことまで想像させて、無駄に彼らをかき乱したくないなど、、理解力がある分、ごまかしもきかない。
はっきり言えば、私自身、言葉を丁寧に扱えない人とは付き合いたくない。その自覚はあった。
私もまた、昨年の認知的特徴を調べる心理検査で35年越しに発覚したことがあった。
視覚的な刺激がズバ抜けて入りやすいことのほか、言語理解が高いという指摘を受けた。さらに合わせて、常識理解つまり非常にまじめであることが自分の首を絞めているところもあると。
本来天真爛漫で、おしゃれ好きな、ガハハ笑いの、頭は疲れやすくても体はタフな、本能直感優位、そしてマルチ表現者、そんなお嬢ちゃんだったはずが、、笑。
子育てにどっぷり浸かった10年ほどの間、孤独を避ける授乳期のオキシトシン効果なのか、、絵本の読み聞かせという地域活動に加わり、自分でもその時々の仲間とイベントを開いたり、サロンや講座を開いたりしていた。
しかしあるとき、日本人の集まる場所を心底苦痛に感じている自分に気づき、引きこもり、英語や多言語活動に出会っていくのだが、、
はて、私は外国の言葉、文化に何を求めていたのかと。
それは、主語なのではないか。。!!!?
と、これが今週の大発見の一つです。笑
なんのこっちゃかもしれませぬが。。
自分が、自分だけでなく、周囲の人の「言葉」にどれほど大きな影響を受けていたか、、と自分を泣いてハグしたい気持ちに襲われたのです。
日本では 阿吽の呼吸 あるいは 暗黙の了解 や 空気を読む というような 一体感 を当たり前に体現してしまう民族が暮らしています。私も日本に生まれ落ちたからにはと、それはそれは一生懸命それを理解し体得したのでしょう。
そういう環境で築きあげた自我を、数年をかけ脱ぎ捨てていくほどに、私、が出てきた。すると私ではない存在が、「私は」という主語なく「こう思う」「こうしたい」と話されることに、
ちがう!私はそう思ってない!
私はしたくない!
そういう反発が強くなってきたんだと思う。
主語がないことで、暗に
みんなが従うものだ。
あなたにも要求することだ。
と言っているように、私には無意識に聞こえるし、そう受け取ってきた。
発言者にとってなんの取引、策略がなくてもだ。あるいはやはりどこかでそれらがにじみ出ている文化ともいえるかもしれないが、。
それが「自分を見失いがち」という一つの要因であったかもしれないことに思いあたるにつけ、人間関係の一方的と思われる不具合、不快の謎が解けたようで、パ〜!!っとした次第である。
久しぶりに長く書いた。
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