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わたしの中に存在した、小さな袋のお話

実は、2024年がもう暮れに差し掛かったある日、わたしの体の中に小さな袋が見つかりました。
それはそれは小さくて、外からはわからなくて、時にわたし自身も忘れてしまうくらいの、ちいさな。

3回目でも、はじめてのような不思議

我々夫婦には2人の男児がいます。3歳と1歳。
どちらも本当に可愛くて、愛おしくて、彼らが居てくれたら何もいらないと思うほどです。

長男を授かったときは、不妊治療をしていました。
なぜか妊娠は、自然にできると思っていたわたし。
子どもが欲しくて結婚したのに、全然できなくて、焦って、検査をして、これといった異常もなく。
なのになぜか出来ない。その現実にとても焦りました。

仕事を調整してはクリニックに通い、何本妊娠検査薬を買って、何時間あの真っ白な小窓を見つめたことでしょう。今日こそ、うっすら線が出てくれるのではないか…
またダメだった、まただ…なんで?それは、まるで就職氷河期に落ち続けた時の『御祈りメール』のよう。自分が否定されているような気持ちになりました。


注射も地味に痛い


そんな日々が続いて半ば精神が病んできて、ついにもう次回から顕微受精!という時に、突然長男はやってきました。
ちなみに最後のAIH、夫の数値が基準値の半分ほどで、所謂”ダメ元”の回でした。

そんな初めての妊娠は、不妊治療をしていたことが原因で卵巣が腫れすぎて破裂の可能性があり、初期に2週間仕事を休んだりしましたが、無事コロナ禍に元気な男の子を出産することができました。


2人目は『ダメ元だけど、できたらいいな』くらいの気持ちでした。
精神的にも時間的にも、不妊治療はもうしなくていいかなと思い、のんびり妊活しようかなと思っていたらまさかのあっさりと自然妊娠。

この時は、初期も中期も何度も出血、途中で電動自転車で横転してお腹を強打したり、
切迫早産で31〜34週入院し絶対安静、退院したら36週で急遽出産!といったドキドキ続きの妊娠生活。

なかなかのスリルを味わいました。
命って本当に、奇跡です。


そして今回。

気付けばアラフォーなので、年齢的にもなんとなくリミットを決めて始めた妊活。

始めてから半年ほど妊娠しなかったので、やっぱり厳しそうかなぁと思っていた矢先に、陽性反応がでました。

何度見ても嬉しい!


わかっていたはずだけど、人に言えるまでが…長い!


妊娠したことを、どのタイミングで誰に伝えるか。
こればっかりは本人である自分が1人で決めること。悩みます。

今回は、陽性反応が出た生理予定日頃(1番早いタイミングで)夫に伝えました。

初診はそこから2週間後に予約。
その頃にはきっと6週なので、心拍確認できるかな、と思っていました。

しかし、行ってみたらまだ確認できず。
袋しかありませんでした。あれ…?
でも、正常な場所に着床していることがわかりとりあえず安心。
(妊娠検査薬で陽性が出ていても、子宮内に着床しているとは限らない不思議)

2週間後にまた来てくださいね、とのこと。

はい。と答えたものの、、
2週間…
検査薬で陽性になってからすでに2週間待ったのに、また!?長い、長すぎる…
(心拍確認ができたら流産のリスクが減ると言われています)

それまで、本当に育っているのかドキドキしながら、眠い、だるい、なんだか臭いも敏感、そして抜け毛が酷い(上2人の時も妊娠初期〜後期に大量に髪の毛抜けました)…な日々。

でも、つわりらしき気持ち悪さはそんなに無くて、それはそれで、不安でした。


出張に向かう飛行機で、じわ〜っと温かい嫌な予感


それは突如やってきました。

月に1.2度の東京出張の日。朝早く、子どもが寝ている時間に家を出て、飛行機内で仕事をしていました。さて、そろそろ着陸。

窓側の席が好きです

その時突然、じわ〜っと温かいものを感じました。

何か液体が、確実に出てきた感じ。
女性ならわかっていただける方がいらっしゃると思いますが、とっさに、これはまずい!と思いました。
立ち上がったら椅子に血液!みたいなことになっていないかなと。

幸いその日は黒いパンツ、コートはお尻が隠れる長さだったので、最悪着替えを買うまでは大丈夫かな?
などと考えを巡らせながら、内心はヒヤヒヤ。

鮮血がたくさん出てたらどうしよう。
これから仕事なのに、平常心を保てるだろうか。
夫になんて報告しよう。
残念な想いをさせるくらいなら、早く報告しなければよかったな。

などなど…

でも冷静なもので、飛行機を降りて1番近くにあるトイレの列に静かに並び、姿見で後ろ姿をチェックし、個室に入りました。

こんなに下着を下ろすのに緊張したこと、ないのでは…?と思うほど、心臓がドキドキしていました。


結果、思ったほどたくさんの出血ではなく、どちらかというと薄いピンクの液体がたくさん出ていました。


とりあえず、着替える必要は無さそうなので、ホッ。

しかし、これは安心していいの?

ここから大出血が始まるかも…
そしたらナプキン買っておかなきゃ、あ、妊娠継続しているかは内診するまでわからないかな、
でもどっちにしても無理ならきっとこれから出血だろうな、
お腹痛くなるかな、鎮痛剤持ってないな…

なんだか不安でした。

こんな時、家族が近くにいたらいいのに。息子が『おかあさん大好き!』と言ってくれたらいいのに、なんで1人なんだろう。心細かったです。

でも、もうアラフォーのわたくし。
意外と冷静に仕事を終えて、次の日帰宅しました。

始まっていない命の終わり?

さて。実際にはその2週間を待たずして、軽〜い出血が続いたので、病院で診てもらうことになりました。

不妊治療、妊娠出産で
何度このエコーにお世話になっただろう?


結果、心拍は確認できず。

大きさも、ほとんど育っていませんでした。
通常この時期の赤ちゃんはグングン成長し、頭と胴体が別れているのが見える時期。

でも、わたしのお腹の中の小さな袋は真っ黒で、うっすら中に点が見えるか見えないか…

また来てくださいね、様子を見ましょう
と優しい女医さんに言われましたが
内心、初めての流産がほぼ確定したんだな、と思い、悲しいような、苦しいような、なんとも言えない気持ちになりました。


わかっています。
子どもができない人や、ひとり目を流産した人からしたら、そんなのなんでも無いじゃん。もう子ども2人もいるんだし!と思われるかもしれません。

でも、それでも、一瞬でもお腹にきてくれたわたしの愛しいちいさな袋にお別れをしなければならないのかな?と考えるのは、やっぱり心が痛みました。

そしてそっと、ベビーの発育を管理するアプリを削除しました。

この緊張感溢れる椅子にも慣れましたが
カーテンの向こうでカチャカチャ聞こえるとドキッとします


まさかのタイミングで見えた、小さな点滅


その後、数日後にまた病院へ行きました。

先生もわたしも、口には出しませんでしたが、流産確定のための診察、という気持ちでいました。

妊婦さんがたくさんいる待合室。少し複雑な気持ちを落ち着かせようと、待ち時間は仕事の本を読みます。

そして、いよいよわたしの番。いつものように、診察台に上がります。わかっていても、ドキドキするもの。
ふ~っと息を吐いて、モニターを見つめました。数日前より少し成長している胎嚢。
赤ちゃんいなくても袋は成長するのか…そんなことを思ってじっくりと観察する先生とわたし。

『本来はね、ここの卵黄嚢のとなりに、あかちゃんが見えるはずなのよ…でもね…ん??』

何かがピコピコしていました

『あれ?なんか動いてますよね?』『ほんとだ!』
というやりとりがあり、しばらく観察した結果、これは赤ちゃんの心臓の可能性が高いということになりました。

ここでまた、2週間の経過観察。

この週数でこんなに小さかったら、どっちにしろ染色体異常だろうな、という想い。(通常この週数での大きさの1/4程度)
どうせこの先だめになるなら、心臓の鼓動は見たくなかったな。
でももしかしたら、2週間後には元気なあかちゃんがみれるかも!わたしは母親、希望は捨てちゃだめ!

いろんな自分の中の声が頭の中でこだましました。


初期の流産は1/3の人が経験する


と、言われています。今回も先生が丁寧に説明してくれて、全体の妊娠の20%は流産になるよと教えてくれました。

割と年齢がいってからの妊娠だったのに、これまで経験してこなかったわたしは、きっと運が良かったのでしょう。

家族や友人にも、知っている限りでも流産の経験がある人は何人もいます。
ただ、みんなこんな悲しい経験、そして、何より報告したところで相手が反応に困るような報告、好き好んではしないですよね。だから、あまり知られていないのかもしれません。

初期流産の殆どは染色体異常によるもの。
母体などには原因は無いとされています。

わたしはこの妊娠初期のあいだに、長男のインフル罹患、次男風邪による発熱、夫の入院と膝の手術、年末年始、夫インフル…いろんなことがありました。
ホルモンバランスも乱れまくりで、悲しくなったりイライラしたり、珍しく夫とケンカしたり、本当に色々でした。
辛いのは、妊娠していることを伝えられない、そして流産の場合多くの人がその事実を公表しないので、自分が追い詰められていたとしても、周りに言えない。それは3度目の経験でしたが、それなりに苦しかったです。

自然淘汰というやつですね


そして稽留流産は、自然に排出されるのを待つ、
もしくは、出てこなければ掻爬手術をすることになります。

出産は2回したけれど、これは初めて。初めてのことって何歳でも、不安でドキドキしますね。

また、会えたらいいな
〜みんなに優しい社会とは〜


これまでと同じように日常は回っていきます。
この経験も、わたしが言わなければ、誰にもわからなかったこと。

わたしはどんな人でも、働きやすい世の中作っていきたいと思っています。

今回は、妊娠出産に関連したことを書きましたが、
クリニックに行く時間が欲しい人
ホルモンバランスが崩れてペースダウンをしなければならない人
心を癒す時間が必要な人
時差出勤が必要な人…様々な人がいると思います。

そして、今改めて思うこと。

会社や社会の制度を整えていくには、経験した人が『事実を正しく伝える』ことをしなくてはならないということです。

経験したことがない人に、『そのくらい想像してよ!』というのはあまりにも乱暴ですよね。
みんな、思った以上に、経験してみないと何もわからないものです。

だから、経験したことはイチ経験として、周りとシェアしていくことが大切だと思い、この記事を書きました。

妊活している人、妊婦さん、つわりが軽い人、重すぎる人。
残念ながらお別れすることになってしまった人、病気がわかった人。

どんな人でも、今しかないそのフェーズに寄り添ってくれる制度や職場環境がありますように。

大切な命を守るその人が、悩まなくても良いことで悩まない環境でありますように。
そして、そんな女性を持つパートナーが、サポートできる体制でありますように。

そう心に刻んで、今日も仕事をします。

妊娠初期。
それは、誰にも言えなくて、でも不安で体調が悪くて
特にわたしみたいに高齢出産の年齢だと、流産のリスクが高かったり、染色体異常の検査なども検討したりして、なかなか周りに言うのは憚られるものです。

それ自体はどうしようもないことかもしれません。でも、わたしはスーパーフレックスで仕事をしているので、パフォーマンスを下げずに、職場への気をあまり使わずに今回のことを乗り切ることができたな、と思っています。

きっと時間が厳密に決まっていたら、病院の予約をするにも、少し具合が悪い夕方も、もっと人目を気にしてストレスが溜まっていたと思います。

実際、長男の時はそうでした。

個人的にあまり好きではなかった上司(🤫)に、不妊治療をしていることを伝えなければならなかったこと。
妊娠したことも1番に報告をしなければならなかったこと。

それもストレスでした。

でも、そうしなければ仕事で迷惑をかけてしまう環境だったので、言わざるを得ませんでした。

不妊治療の話をした時も
『あーそうなんだね、最近阪口さん太ったなぁと思って○○さんたちと心配してたんだよね。ホルモン剤とか色々大変なんでしょ?』と言われ、
妊娠報告と卵巣が腫れて病欠する旨を伝えたときは、
『うちの妻もさぁ実は流産経験あるんだよ、流産辛いと思うからお大事に』と言われて。ただでさえつわりと腹痛が辛いし、初めての妊娠で不安なのに、なんだそれ?!ホルモンバランス乱れてるので、怒りも倍増。

そんな思い出もあります。

妊娠出産にまつわる話は、本当に人の数だけあると思っています。
だから、正解も何もないけれど。
でも、みんなが幸せであるためには、みんなが行動と努力はしなくてはいけないなと、改めて思いました。そして、ちょっとした愛と思いやり。
権利を主張するだけじゃなくて、自分にできることも考えながら。
そんな世の中をつくっていけたらいいなと思います。


さいごに。
ちいさな愛しい袋と過ごした1ヶ月半は、ずっと心配でもあり、ずっと幸せでした。
きっとこのことにも、何か意味があったんだと思います。

また、会えたらいいな。


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