運動・音楽・読書の関連性 ~個人の成長における「選択と集中」~

「選択と集中」。既存事業に縛られず、世界の同行に合わせてビジネスの対象を変化させ、捨てるべき分野は切り離し、成長性のある分野に資本を投下する。数年前、この言葉をよく耳にした。とりわけ、多種多様なビジネスを抱える総合商社では、ボラティリティリスクの高い資源系のビジネスからは徐々に手を離し、非資源系のビジネスへ向かうような動きがあった(現に、非資源へとうまくシフトした伊藤忠は「今のところ」上手くいっているようにも見える)。

翻って、個人の成長という観点でこの「選択と集中」という言葉について考えてみた。何でもかんでも手につけたが故に何も身に就かない、そうなるよりも、たとえば「英語を勉強したいから、とにかく毎日英語を頑張るんだ」「起業を考えているから、経営・事業開発について勉強するんだ」「ギターに挑戦したいから、とにかくプライベートはギターだけをやる」「マラソンを頑張る」などと意気込んで、それまでやっていた他のことは諦めて、一つのことに集中する。それもまた良いことかもしれない。ただ、果たしてその一つに集中することが、個人の成長という意味で一番良い道なのだろうか。

このブログを書いているのは、その辺に居る何の変哲もない一般人。昔から欲張っていろんなことに手を付けてきた。幼い頃から音楽に囲まれる生活でありながら、サッカー少年でもあった。目立ちたがり屋だったので、持久走でも負けたくないし、合唱コンクールではピアノを弾く。そんな幼少時代を引きずったまま大人になり、今ではピアノもギターも続ける一方、トライアスロンに向けて週5で走る(or自転車を漕ぐ)、そんな生活だ。それでも、本を読む時間、英語を勉強する時間も怠りたくない。そんなに欲張っていると、時間がいくらあっても足りないのだが、それは多少仕事の時間を削ってでも、飲み会を少し断ってでもやりたい、そういう衝動に突き動かされて日々を過ごしている。

大学3年のボツワナ留学中にも、この悩みに苛まれた、「何かに集中した方がいいのだろうか」と。そんな時、いつも傍で見守ってくれた兄貴分の現地の友人からは「諦める理由がどこにある?やりたいと思うことなら迷わずやればいい。本当にやりたいと思わないんだったら、いずれ辞めてるはず。それでも時間を作ろうと悩んでいるのは、やりたい証拠じゃないか。」その言葉に救われて、結局留学中は運動、音楽、読書のどれも諦めずに過ごすことができた。

この週末、久しぶりにこの「何でも手を付けてしまう自分」についてふと考えたとき、一つのことが頭に浮かんだ。それは、運動・音楽・読書、それぞれに関連性があって、互いに良い影響を与え合っている、そして、突き詰めると上達するアプローチはどれも同じだし、抽象度をどんどん上げていくと共通項がある、ということだ。

たとえばピアノでは、フォルテ・フォルテッシモのような大きな音を出す際に、「大きな音を出す」ことだけに意識が行くと、どうしても腕の力で弾こうとしてしまう。それでは割れるような音が出てしまうし、長い曲を弾き終わる頃には疲れ切ってしまう。そうではなく、(個人的な感覚では)肩甲骨や背中を使って体重を乗せているイメージ。そうすることによって、音割れはしない、耳にスッと入ってくるが迫力のある音になる。これを水泳・自転車・ランニングで考えてみる。スピードを上げる時、腕先や足先に力を込めるとグイっと進むことはできるが、長い距離を闘うトライアスロンの中でそんなことをやっていては、最後まで体力が持たないし、そういう動きを続けていると故障に繋がる。正しい動かし方は、背中やお尻回りの大きな筋肉を意識して、身体全体を使って動くこと。このように、「身体全体で動く」という点は、音楽・運動どちらにも通じる。読書で言うと、ある分野を勉強する際に、森(=全体)を見ずに木(=子細な箇所)ばかりを勉強していると正しく理解できず、森を見つつ木を捉えることが重要である。

練習方法にも共通点がある。練習の都度明確な目標を持って取り組むのとそうじゃないのとでは成長具合が全く異なるし、日々より良い方法を勉強し改善し続けること、苦手なところは徹底的に練習すること、これらは運動・音楽・勉強のどの分野においても重要なポイントだ。(もちろん、ときにはそんな固い目標など忘れて、ひたすらに楽しむことも大事。このことも運動・音楽・読書どれについても入れることだ)

そんなことをつらつらと考えていくうちに、いろんなことをやっているように見えて、実は音楽を学んでいる時も運動に繋がることを習得しているし、逆も然りだなと考えられるようになった。このブログでお伝えしたかったのは、「プライベート」においては、(実はいろんなことが関係しあっているので)何かに絞る必要は全くない、ということ。私の尊敬する人が、「書物を読み、音楽を奏で、運動する。そうすることによって統合的な知を得る」ということを話されていたが、まさに相互に影響し合うこと=統合されていく、ということなのだと思う。

企業が行う事業ではどうなのかというとまだ私には分からないが、総合商社が「総合」商社たる所以は、もしかしたらこのように「いろんな事業をやることによって、相互に良い影響をもたらして、掛け合わせで成長できている」ことが一つの理由なのかもしれない。今回は個人の成長という観点でのみ結論づけるものとし、事業についてはまた別の機会に考えようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?