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温故知新:100年前の「二重国籍問題の解決」という報告書を読む

今回の資料は、

 1924年(大正13年)8月に発行された「憲政 臨時号」「第49回帝国議会報告書」出版者は:憲政会本部
 ちなみに、当時の内閣総理大臣は加藤高明(憲政会総裁)。与党はもちろん「憲政会」。
 当時の政権与党による「我々の政権は、こんなに頑張りましたよ」という活動報告ですね。

憲政 = The Kensei 臨時號 https://dl.ndl.go.jp/pid/3547881

その「第五章」に「二重国籍問題の解決」という内容があります。

憲政 = The Kensei 臨時號 https://dl.ndl.go.jp/pid/3547881/1/6

(現代語訳:筆者)
 政府は国籍法を改正して、長年の宿題であった二重国籍問題を解決しました。世の中の人にも良く知られている通り、米国においては、その国に生まれた人は、その人種がどうであろうと、米国の市民となります。これは、いわゆる出生地主義の法制度です。しかし、日本においては、いわゆる血統主義であって、どこの国に生まれようとも、いやしくも帝国臣民の子孫ならば、その人を帝国の国籍に編入すると言う法制度になります。その結果、米国に生まれた日本人は、米国の市民であると同時に日本帝国臣民であると言う奇妙なことになり、その人が成長して徴兵適齢期になると、米国市民である日本人の子供も、また日本の兵役につかねばならないことになり、ここに、二重国籍問題として種々の紛糾を生じました。歴代の政府は、なぜか長い間これの解決を怠っていたため、その紛糾は米国生まれの日本人の徴兵適齢者が増加するごとに、ますますはなはだしくなってきました。
 現内閣は、すなわち一刀両断で、国籍法を改正し、
「勅令をもって指定する外国において生まれたことによって、その国の国籍を取得した人は、自ら日本の国籍を留保する意思を表示するのでなければ、その出生の時に遡って日本の国籍を失う」旨を規定しました。これによって、これまで二重国籍に苦しんだ青年子弟は、その苦しみを免れ、今後こうした問題のために苦しむ運命にあった多くの同胞青年を救いました。まさしく、新内閣が、きわめて短い議会で成し遂げた偉大な事業の一つと言えるでしょう。

国籍の頸木からの解放

 これを読んだら、当時の課題が
「血統主義で強制的に日本国籍が付与されてしまい、国籍離脱の自由がないこと」
であるのが読み取れます。
 昨日の

でも書きましたが、「兵役義務などの観点から重国籍を認めなかった明治憲法下の国籍法」というレッテル張りは本質をとらえていない、むしろ、「重国籍でも良いけど国籍離脱は認めない」と言うのが「明治憲法下の国籍法」で、当時そのことに苦しんでいたのが二重国籍の当事者だった。
 国籍留保制度は、日本国籍離脱ができずに苦しんでいた立場の人を裏技的に(留保の意志を示さねば、出生時に遡って国籍喪失として)救済するものでした。限定的ながら、本人(というか親)の自由意思に委ねられた。これがちょうど100年前。

 戦後の新憲法では、もっと根本的なところで、「国籍離脱の自由」を認めたのですから、二重国籍問題は全面解決したはず。自由意思に委ねられたはずだったんです。
 なんでまた、昭和59年(1984年)国籍法で国籍選択制度などという当事者を「縛る」制度を導入したんでしょうね。

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