「国籍喪失制度」の「存在意義」に関する試論
国籍喪失制度
日本の現行国籍法では、
と規定されています。これが国籍喪失制度です。
この制度は、今から120年あまり前、明治32年(1899年)に日本で最初に制定された国籍法(旧国籍法)で
に定められて以来、今日まで一貫して引き継がれています。
この制度の「当初の」意義を探る
原理・原則(プリンシプル)
まずは前提として、明治期に、はじめての国籍法が制定された「当時」の原理・原則(プリンシプル)を確認しておきましょう。
それは、
「日本に於ては、所謂血統主義にして、何れの國に生るゝも、苟くも帝國臣民の子孫ならば、之を帝國の國籍に編入するを以て法となせり。」(注:加藤高明内閣1924年「第49回帝国議会報告書」の記載による)
(日本においては、いわゆる血統主義であって、どこの国に生まれようとも、いやしくも帝国臣民の子孫ならば、その人を帝国の国籍に編入すると言う法制度になります。)
・・・そして、
「国民(帝国臣民)が、当人の自由意思により国籍離脱することを認めない」 というものでした。
この大原則は戦後、日本国憲法22条2項に、「国籍離脱の自由」が定められるまでの、国籍法の根っこにあった考え方です。
「帝国臣民」が自ら臣民という立場を放棄するのは認めない。
臣民が自らの意思で国籍を放棄することを認めれば、当時の国家政策である「富国強兵」を妨げ、ひいては国力の衰退につながりかねない。現実問題として、兵役義務の観点から言うなら、徴兵義務の対象となるべき者が当事者の自由意思で国籍離脱してしまえば、想定した兵力を整えられなくなる、といった懸念もあるでしょう。
そうしたタテマエから、臣民が自ら日本国籍を放棄したい、と言い出すのはタブーであり、制度的に認められないものなのでした。
例外が必要な理由
ただし、このタテマエを貫くと、一方では、当時盛んにおこなわれていた日本人の「海外移民」にとって、移民先の国での活躍が阻害される場合が出てきます。
海外への移民が、現地で居住権、財産権、などを確保しようとした場合、国によっては現地の「国籍」取得が要件になる場合「も」あります。
そして、現地の国籍取得のためには、「原国籍」つまり、日本からの移民にとっては「日本国籍」を放棄することが条件にされている場合「も」あります。
この立場の移民が現地で活躍するには、現地の国籍を取得しなければなりませんが、国籍離脱を認めないという日本側の扱いのために、現地国籍を取得できないとなると、多大なる支障が生じてきます。
ですから、この立場の人たちのため、「外国への帰化の手続きを可能にするため」には「日本国籍を消滅させる」抜け道を設けなければならなかったのです。それが、「国籍喪失」制度の存在理由でした。
・「当人の自由意思による国籍離脱は認めない」
というタテマエを原理原則としてあくまで維持しながらも、一方では、
・「当人のため」に「国籍喪失させ」なくてはならない場合がある
という、矛盾。
これを解決するための方便が、
※「外国籍志望取得の場合の日本国籍の自動喪失」
です。
・「自分の意思で日本国籍を離脱できる」
のではなく
・「自分の意思で外国籍を取得した」ことによって「日本国籍を強制的に喪失させられる」という体にしたわけです。
ずいぶんと「拗らせ(こじらせ)」ていますね。
でも、当時の大日本帝国は、これで、国のメンツを立てた。そして、海外への移民となった当事者は実を取ったのです。
もちろん、外国側の制度次第では、その国の国籍取得に当たってそうした原国籍喪失要件が課されていない場合「も」あるわけですが、相手国の制度次第で、日本国籍を維持させたり、させなかったりということになれば、自国民の国籍得喪が、相手国の制度に左右されてしまうこととなる。これは、自主独立の主権国家としては、受け入れがたいことです。
だから一律に、国籍喪失させることになったのです。
明治32年の法典質疑録
明治32年の最初の国籍法制定に際して、「法典質疑録」という、法制度の考え方をわかりやすく一般向けに説明した文献が刊行されています。
この「最初の国籍法」の説明で、国籍喪失の要件である「志望取得」がどのように説明されているかを見ると、「外国籍志望取得による国籍喪失」というこの制度が決して単純な「二重国籍防止」を目的としたものではないこと、むしろあくまでも、外国国籍取得の障害になる可能性がある場合に限ってきわめて限定的に日本国籍を喪失させるものであることが見えてきます。
「志望取得」はたいへん厳密に、最も狭く解釈されている。この「志望」の要件に該当しない場合は、二重国籍になろうが何だろうが、日本国籍を離脱させない、という制度であったのです。
ここには
「国籍法案第20条(現行国籍法では11条1項に相当)に所謂「自己の志望に依りて外国の国籍を取得したる者とは如何」
という質問・回答があります。
(現代語概要訳:筆者)
・国籍法案第二十条のいわゆる「自己の志望によって外国の国籍を取得した者」とは何か?
・いわゆる「自己の志望によって外国の国籍を取得した者」とは、外国の国籍を選んでこれに就いた者を総称するもので、次の三種に類別できる。
(1)帰化
帰化の語は広義にこれを用いるときは外国人が国籍を取得するすべての場合に適用し、狭義にこれを用いるときは外国人が国権の特別の行動によって国籍を取得する場合に適用し、さらに狭義にこれを用いるときは外国人の任意の出願に基き国権の特別の行動によってその外国人が国籍を取得する場合のみに適用する。
ここでいういわゆる帰化と言う語は第三の、かつ最も狭い意味で使っている。この国籍法案の「帰化」とは、この意味で使っているのである。だから日本人であってこの国籍法案が規定する帰化と同種の方法によって外国の国籍を取得した者は、この法案第二十条のいわゆる「自己の志望によって外国の国籍を取得した者」の一種となる。
(2)選択権による国籍取得
この種の国籍取得は、この国籍法案に規定はないが、外国においてみられる。すなわち、ある法定の資格を備えて、かつ国籍を取得しようと志望する者が法定の条件を踏んで、その志望を陳述することにってその国の国籍を取得するものである。
一例を挙げれば、フランスにおいて国内に生まれた外国人の子であって、当然にはフランス人とはならない者(フランス法においては父、父がいないときは母)が国内に生まれた者であるときは、その子がフランス国内で生まれた場合、当然のフランス人とする。また、外国人の父(父がいないとき母)がフランス国内で生まれていなくても、その子供がフランス国内で生まれたものであって、成年時にフランス国内に住所を持つ者はフランス法によって、成年となってから一年以内に、フランス国籍を望まない旨の意思表明をするのでなければ当然フランス人となる。
ゆえに、フランス国内に生まれた外国人の子で当然にはフランス人とならない者とは、国内に生まれた外国人の子であって、上に述べた二種類の「当然フランス人」を除いた者を言う。この立場の者が二十二歳になる前に、若干の法律の条件を踏んで、フランス国籍取得の希望を出してフランス人となるような場合がこれに当たる。
ゆえに、フランス生まれではない日本人を父としてフランスに生まれ、かつ、成年の時にフランスに住所を持たない者が満二十二歳に達する以前に法定条件を満たして、国籍取得の志望を陳述することによってフランス国籍を得た時は、この法案第二十条のいわゆる自己の志望によって外国の国籍を取得した者の一種となる。
(3)任意の出願による国籍回復
これは、国籍法案第二十五条、および第二十六条に規定したような類を除外するもの。もし外国人であるものが、一旦日本の国籍を取得したあとに、さらに日本の国籍法案第二十五条、および第二十六条に規定したのと同様の方法で原国籍国の国籍を再取得した場合は、この法案第二十条のいわゆる自己の志望によって外国の国籍を取得した者の一種となる。
(補足)
以上で国籍法案の「自己の志望に依って外国の国籍を取得した者」の類型を説明したが、特に注意が必要なのは、
対象としては
「直接に外国の国籍を選んでこれに就いた者」
のみを含み、
「自己の任意に行った行為の間接的な法律上の結果として外国の国籍を取得した者」
は含まないことである。
ゆえに、たとえば
・外国人と結婚したことにより、外国の国籍を取得した者
・外国の公務員につくことで、(自動的に)外国国籍を付与されたもの(ドイツにおいては、国家、教会、または地方団体の公職に就く外国人は、その辞令に外国の国籍を失わないと明記しているのでなければ、ドイツ国籍を取得したものとみなす。ノルウェーにおいても同種の規定がある。イタリアにおいては、国籍喪失者の子で国外に生まれた者がイタリアの公務員になるときは当然イタリア国籍を取得するとしている)および外国に居住することにより外国の国籍を取得した者(ベネズエラにおいては領土内に移住する者に対して帰化の名称でその国籍を取得させる)などを含まない。
(ドイツの例の筆者による解釈補足:「外国人でも任官できる」、と明示されている役職以外は、任官にはドイツ国籍が必要であるが、その場合は任官の辞令で自動的にドイツ国籍を取得したものとみなされる。こうした場合は日本側では「外国の国籍を志望取得した扱い」にならない。)
重国籍の防止の趣旨ではない
法典質疑録の「志望取得」の説明内容を逆方向から検討してみましょう。「志望取得」に当たらない場合は、国籍喪失になりませんし、それどころか、そういう立場の人は望んでも日本国籍を離脱することができなかったのです。
特に「補足」に書かれていることは重要です。
・ドイツの公務員の場合のように、仮にその外国の公職に就いた場合でも、それによって自動的に当該国籍が付与されたのであればそれは「志望取得」ではない。
・当該国で、「帰化」という名称のもとに運用されている制度であろうとも(当時の)ベネズエラのように、移住しただけで国籍が付与されるというのであれば、それも「志望取得」ではない。
※また、こうした経緯で「二重国籍」になった人は、
・単に「日本国籍を喪失しない」ばかりではなく
・「日本国籍を離脱できない」という制度だったのです。
日本国籍保持が「相手国国籍取得の障害になる」可能性がある場合に限って、極めて限定的に適用されたのが「国籍喪失」の処分だったわけですね。
日本国籍の回復
当時の制度では、外国籍の志望取得によって一旦は日本国籍を喪失してしまった場合でも、旧国籍法25条で日本に住所があれば日本国籍を回復することができました。その際、志望取得した外国籍の放棄は日本側では求められていません。ですから、日本の国籍を回復することで相手側外国が国籍喪失の扱いにしていないのであれば、二重国籍になることもできたのです。
若いころは海外に出て現地国籍を取ってバリバリ活躍し、リタイア後は日本に戻って・・という人生設計が可能だったのですね。明治の国籍法なら。
因習にとらわれたレガシールール
戦後の新憲法(日本国憲法)では、国籍離脱の自由が定められましたから、「国籍喪失制度」の存在意義は消滅したわけです。
「国籍離脱の自由」という、根本的なパラダイムシフトと同時に、制度は全面的に見直されるべきでした。
しかしこのとき(すなわち戦後の国籍法大改正時に)法務官僚が手を抜いたようです。制度の根本的見直しに手を付けず、意義がなくなったレガシールールである国籍喪失制度をそのまま残した。棚上げして先送りしてしまったのですね。
この時期から「重国籍の防止」という奇妙な理由付けが文献に登場するようになります。
古いルールを維持する理由付け(もはや言い訳)が全部「重国籍の防止」にこじつけられてしまったのです。何とかの一つ覚えというやつです。「溶岩流アンチパターン」です。
法務官僚が、億劫がって手を付けたがらなかったテーマ。レガシールールの存続理由を「重国籍の防止」としたことで制度がねじ曲がってしまった。
後年(1985年)の国籍法改正で導入された16条2項には、
という規定があります。今に至るまで適用された事例は無いのですが、「重国籍の防止」という無理くりの理由付けを拗らせ(こじらせ)た結果、外国の公職に就くことにペナルティを設けるが如き、しょうもない条文作っちゃったなと思いませんか?
明治32年の法典質疑録で見た通り、明治の国籍法では、外国の公職につこうが何しようが本人の活躍に必要な「外国籍取得」の障害にならない限り、日本国籍を喪失などさせなかったのに、です。
国籍制度をより深く理解していたのは、明治の内務官僚と戦後の法務官僚と、果たしてどちらだと思いますか?
保守価値観のすり替え
令和の今も、明治の昔も、本来の「保守政治家」は、社会の基盤となる「原理原則(プリンシプル)」を重視し、それを守り抜こうとする姿勢をもっています。たとえば「官僚」が暴走して、それまでうまく機能していた「しくみ」を滅茶苦茶にしてしまわないための「保守」の役割、「チェック機能」は、社会システムとして非常に有意義だと私は考えます。
ただ、彼らが「拠り所」とする「原理原則」が「何に基づいているのか」「どこから来るのか?」という点については、テーマによっては、少し疑わしい部分もあります。
「古き良き伝統」から来ている? それは本当に「保守」を自認する方々が思うような、伝統的なものなのか? 実際には、「官僚」から都合がいいように吹き込まれた話を「伝統」として「鵜呑み」にしてしまっているようなことも一部含まれるのではないか?
国籍制度に関して、現在の保守層は
・「明治以来、二重国籍は認められてこなかった、それが日本の伝統的な価値観だ。」と考えている方が大多数のようにお見受けします。
しかし、上で見てきたとおり、明治から戦前の「保守層」は
※二重国籍だろうが何だろうが、
「日本に於ては、所謂血統主義にして、何れの國に生るゝも、苟くも帝國臣民の子孫ならば、之を帝國の國籍に編入するを以て法となせり。」
だから 「国民(帝国臣民)が、当人の自由意思により国籍離脱することを認めない」という考え方を原理原則にしていた。
こうした「保守層」を説得するために、明治32年の国籍喪失制度導入では、国籍喪失の規定(第20条)について、次のような理由付けが記されています。
>豪モ日本ニ益ナキノミナラス國籍ノ積極的衝突ヲ生スル弊害アリ
などというきつい表現で、外国籍志望取得者の国籍喪失を認めるように、当時の「保守層」の説得をしていたわけです。
戦後の保守政治家が官僚から取ってつけたように「二重国籍の防止」という理由付けをあてがわれるや、それをほいほいと信じてしまったというのは、何というか少々滑稽な感覚さえ持ちます。本来、保守政治家は、歴史に精通し、官僚の詭弁を鋭く見抜くのが本分ではないでしょうか?
国籍法規定の系譜の表
制度の変遷のご参考までに
※この表については次の記事を参照してください。