結婚とは?夫婦とは?家族とは?
先週、友人一家にクリスマス・ディナーに招待いただいた時のこと。
アレコレ話をする中で、結婚の話になった。そして、彼らが入籍をしていないことを聞いた。
「え?二人は入籍してないの!?結婚してないの!?」
「してないよ。だってする必要を感じないもの」
私はこの夫婦(ではなくカップルと言うべきか)二人と友達である。二人とも私と同年代。
フランス人のアレックスと中国人のフェイとの間には、今年4歳になった、かわいいミックスの男の子がいる。
オランダに引っ越してきてから、しょっちゅうこの家に遊びにきているが、彼らは「結婚している夫婦」であり、「家族」だと思っていた。
もちろん、ヨーロッパでは日本よりずっと事実婚が多いことは知っている。しかし、子どもがいて、本当に”家族”のように生活しているのに入籍していないカップルを実際に見たのは、初めてだった。
それゆえ、改めて、「結婚とは、夫婦とは、家族とは、一体何なんだろう?」と、考えさせられた。
その後、デンマーク人の友達と話す機会があったので、「結婚」についてデンマークや北欧社会ではどんな感覚なのか質問してみた。
曰く、
「デンマークに限らないけど、北欧では、”結婚”にあまり意味を感じていない人が多いね。実際、事実婚の人も多いし。
もちろん、結婚をすることによって得られる法律的なメリットは多少あり、結婚するとしたら、そのメリットを享受するためだけかな。
でも、事実婚でも結婚と同じような法律的なメリットがあるから、北欧では結婚にこだわるカップルはあんまりいないと思う」
とのこと。
なんと日本と(私と?)感覚が違うのだろう。
驚いていると、彼はさらに続けた。
「逆に言うと、北欧では、本人同士のコミットメント(決意)が大事。例えば、一緒に暮らすと決めたり、婚約をしたら、それはとても重い意味を持つ。結婚するのとほぼ変わらない。二人が一緒に暮らすと決意した時から、二人は”家族”になるのであり、二人で一つの家庭をつくる約束をしたということだから」
なるほど。言われてみれば、確かにその通りだ。
そもそも「結婚制度」というのは、人間社会が作ったもの。それゆえ、国や宗教、時代によって、一夫多妻制を認めていたり、「結婚」の形は様々であり、変化する。(日本だって江戸時代までは側室や妾、大奥があり、一夫多妻制だったわけだし。)
確か、日本で婚姻届を出すのも、そもそもは戸籍管理のためであり、なぜ戸籍管理が必要かと言うと、それは政府が税金の徴収漏れがないように管理する必要があるから、と聞いたことがある。(うろ覚え情報なので、間違っているかもしれないが)
そのように考えると、つまり、結婚の本質とは、婚姻届を出すことでも、ましてや結婚式をすることでもなく、「愛し合う二人が、今後一生を共に生きていく、と決意すること」である。二人が決意したその瞬間から、二人は「夫婦」であり「家族」になるのだ。
(つまり、北欧スタイル)
ちなみに北欧と言えば、もっと驚いたことがある。
以前、スペインの巡礼路で出会った北欧の女性(確かデンマーク人)から聴いた話。
彼女曰く、
「子どもが欲しいけど、いいパートナーがまだ見つからない場合は、精子バンクを使ってとりあえず子どもだけ産めばいいのよ。で、パートナーはその後じっくり探せばいい。そういう人、北欧にはたくさんいるわよ。パートナーを探すことと、子どもを産むことは別だし、女性には出産のタイムリミットがあるんだから。え?これ常識じゃないの?日本ってかなり保守的なのね」
そう言われ、感覚の違いにたまげたことがある。
正直、私はまだ、「子どもを産むことと、一生を共にするパートナーと出会うことは別」という思考には至っていない。
保守的かもしれないが、現時点での私は、「子どもというのは、愛するパートナーとの愛の結晶である」という認識でいる。
ただ、子どもができず、養子をもらって育てるケースや、同性婚で養子をもらい愛情を注ぎ、大切に育てるケースを考えると、これまた、「”愛の結晶”とは一体なんであるか?」と考えさせられる。
「血は水よりも濃い」という言葉があるが、日本は国籍に関しても血統主義を取っており、未だ「血縁」「血の繋がり」を重視している社会のように感じる。
そして、「血が繋がっている家族だから」という甘えの元、子どもを自分の所有物、アクセサリーか何かのように勘違いした親がいたり、”家族”に対して一線を越えた言動をしてしまったり、ひどい時には信じられないような事件につながってしまうことも、しばしば見受けられる。
また、「婚姻届」を提出し、戸籍上そして法律上の夫婦になったからと言って、そこに安心し、あぐらをかき始め、相手の存在のありがたさを忘れてしまうこともあるだろう。
このようなことを考えていくと、家族というのは、「婚姻届」を提出したかどうかや、血縁関係があるかどうかではなく、「この人を愛する」「この人と家族になる」という決意(意志)があるかどうかが、より重要なのだと思い至る。
つまり、”家族”とは、血が繋がっている関係かどうかではなく、「家族として愛情を注ぎ合い、お互いを大切にし合う人間関係」を言うのではないだろうか。
少なくとも私の中での”家族”の定義は、”血縁のある人間関係”から、「自分の意志で愛すると決め、家族になると決めた人間関係」に変わった。
さらに、一緒に生活をし、家庭を築く”家族”とは別に、それよりもう少しゆるやかな、”友達以上、家族未満”の、たとえば”ファミリー”とでも言うカテゴリーを自分の中につくると、人生がより豊かで愉しくなるような気がする。
言うまでもなく、”結婚”や”家族”の定義に正解はなく、人の数だけあって良い。
大切なのは、定義の内容ではなく、定義を自分で考え、決めること。
(思考停止して社会通念を鵜呑みにするのではなく。)
あなたにとっての結婚とは、家族とは、どんな定義だろう?