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違国日記


どんな感情にも、生まれた意味がある。


漠然とした悩みを抱えながら
図書館の中を漂っていた時
たまたま手に取った本の中に
そう書いてあった。   
自分の中にある、無駄だと思っていた感情たちを
「生まれた」だなんて、生き物みたいに扱う表現、
そして「意味のない感情なんてないんだよ」
というメッセージに、そっと肩を叩かれた気がして
心が軽くなった経験がある。



昨年秋から『違国日記』という漫画を読み始めた。
夏樹さんというクリエイターの方の
こちらの記事と出会い
「読んでみたいな」
という思いがじわじわ心の中で発酵し
本屋さんで手に取ったのがはじまり。


アニメ化(現在制作中なのかな)、昨年には実写映画化もされているということだが、
夏樹さんの記事を読むまでは、漫画の存在さえ知らなかった。出会えて嬉しい。

作品が素敵なのはもちろん
とても素敵な紹介文で
こんなにも読んでみたくなる表現ができるのは
本当にすごいな、と感動しました。
何度も読み返したくなる文章。
この場をお借りして、お礼を伝えたい。
「この作品を伝えてくださり、ありがとうございます。」

noteの文中で書いておられる
「ひといきに読んでしまうのがもったいなくて」
という部分に今はとても共感している。

というのも、物語はすでに幕を閉じていて。
11巻という漫画の中におさめられた、
良い意味で、ひとつひとつに重量のあるお話たち。
わたしは今、4巻を読み終えたところ。
なので、物語の結末はまだ知りません。

ここまで読んでの感想にはなりますが
悲しい現実を背負った人物のお話ではあるけれど
決して暗いお話ではないな、ということ。

影がある分、光もある。

そして、生きていく中で
誰かから受けてしまった傷は
長い年月が経っても、その人を傷つけ続けてしまうということ。

きっとおそらく、多くの人がそうであるように
私自身も、思春期に仲の良かった友達から受けた
傷つきを、ずっと抱えて生きてきました。
そして、「なんで自分だけこんなに辛いんだ」
と日々嘆いて生きていました。

けれど、傷つきから年月が経った今は
その受けた傷は消えやしないけど
それでも、今自分の周りを見渡すと
寄り添ってくれる人たちが少なからずいることに
「ああ、私はもう大丈夫なんだな」と
思えるようになってきました。

と同時に、自分も誰かを傷つけて生きてきたことに
恐る恐る気づき始めています。遅いかもだけど。

特に、10代〜20代は
心が柔らかく、でもその分だけ
無神経でもあったと思います。
自分の傷みには敏感なクセに
他者の傷みに対しては鈍感で。
私がつけた傷に、今も苦しんでいる人がいるかもしれない。
そう考え出すといつもそこで思考停止してしまうのですが…



「…大人も傷つくのかと思って…」

《子供》の朝が
《大人》の槙生から
さまざまな言葉や生き方を受け取ってゆく。

それと時を同じくして
《大人》の槙生も
《子供》の朝と過ごす中で
自分にはない感情や
思い出したくない記憶を
思い出さざるを得ないことがあったり。

—-

漫画の帯に書かれているので
ネタバレにはならないかと思うけど
念のため、慎重な方はここより先は
ネタバレ注意?ということで…










主人公のひとり、朝は
親を不幸な事故で亡くしています。
そこから物語が展開してゆき
叔母にあたる槙生と同居を始めます。
親戚ではありながらも、
年齢や立場、考え方や感じ方、暮らし方
掃除が得意か苦手か、人との距離感 etc.
すべてが異なります。

異なるから「異国」かと思いきや、「違国」。
これから先のお話の展開が楽しみです。



私はどうも、「死と生」が
物語の重要なファクターである作品に惹きつけられるらしく。


芦原妃名子さん著
『砂時計』も大好きで、大好きで大好きで。
大好きなゆえに、この作品のことを思う度に
いまだに涙が溢れてしまうのですが。
この作品への愛についてはまた今度…





余談: 朝と槙生ちゃんが同居して初めての朝ごはんに食べていたメニューを再現してみた(ひまか


2人に教えてあげたい。


トーストは半分に切らずに
三角形に折りたたんで食べると
きゃべつもウインナーも落とさず挟んで
上手に食べられるよ、と。笑


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