『リトル・ガール』女性として生きたいと願う子どもと家族を描くフランスのドキュメンタリー映画
フランス(の地方都市?)で父と母、姉、兄、弟と暮らす7歳のサシャ(男女両方に付けられる名前だという)は、男の子の体として生まれたが、幼い頃から自身を女の子と考えている。
学校の校長も担任教師もサシャを女の子とは認めず、頑なに男の子として対応する。その姿勢は学校の子どもたちやその保護者にも影響して、サシャは自分らしく生活することができない。
母親はパリの専門医のところにサシャを連れていき、診断を下してもらう。学校でわかってくれる友達もでき、転校を嫌がるサシャだったが、両親が診断書を手に校長に説明しに行った結果は?
母親が「妊娠したときに私が女の子を欲しいと思ったせいなのか?」と自分を責めていたが、医師からそれは違うと言われてほっとして涙を流す場面が苦しい。何の科学的根拠がなくても親のせいだと言われ、親自身も自責の念に駆られる。そんな社会は嫌だ。
「子どもは大人の鏡」であり、大人が理解しないことで、それを目にする子どもたちも大人をまね、子ども(サシャ)が生きづらくなるという指摘ももっともだ。
サシャはバレエを習っており、バレエの先生に「あなたが女の子だなんて認められない」とほかの子どもや保護者がいる中で言われ、しかも部屋から文字どおり押し出されたという話は悲しいし悔しい。サシャは泣いて母親に「頑張っても無駄だ」と言ったらしい。
サシャはまだ幼いのに非常に多くのことを我慢して親にも言わず、自分の内にため込んでいる。口にできないつらいことがたくさんあるのだろう。小学2年生くらいの子の顔に諦念の表情を見るのは身が切られるようだ。
ホルモン治療は、第二次性徴が始まる思春期の前から、行うかどうかを決める必要があり、生殖に影響して子どもができなくなることがあるので、その点についても自身が子どものうちから考えて決めなければならない。
母親が言うとおり、これからもサシャは大変な状況を生きていくことになる。でも、家族全員が彼女の見方だ。
サシャの仕草はとても「女の子らしい」。体がどうあれ自分が好きな格好や振る舞いをしたらいいし、どんな格好をしていても男性とか女性とかどちらかに決め付けられたくない人もいる。
「認める/認めない」ではなく、誰もが自分に正直に生きられる世界であってほしい。
バレエ教室で男の子の衣装を着させられて踊るサシャの体はこわばっていた。最後のシーンで女の子の服を着て屋外で踊る姿は優雅で柔らかく、心持ちが体の動きにはっきりと表れていた。サシャのような子どもたちが、力を抜いて、自分らしく生きられる社会にしたい。
2020年製作/85分/G/フランス
原題:Petite fille
配給:サンリスフィルム