桜桃忌『六月十九日』
『なんの用意も無しにnoteにむかった。
こういうのを本当の随筆というのかも知れない。
きょうは、六月十九日である。曇天である。』
『六月十九日』の中で
なんだか、がっかりした。
自分の平凡な身の上が不満であった。
平凡ではなかった。決して平凡ではなく
凡人でもなく、ただ「人間」のために生きた。
この日が来るたびに救われた。
お墓の前に行って、その時読みたい1冊を開く。
迷って、悩んで走り出せない。
何か言い訳をしたくなることもある。
そんな時に『かくめい』を開いてみると
にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。
「こうしなければならぬ」ではなにも変わらない。
こうしたいと望んだ時にしか未来は変わらない。
たった4行しかない言葉の中に、鼓舞する言葉を
残してくれるのは本当に偉大だと思う。
…
励ましてもらえる理由のひとつに「弱者の言葉」を
持っている点を挙げる人がいる。
もちろん、寄り添ってくれる点に魅力はある。
同じように苦しいということを分かち合える
共感者でいてくれるところがいい。
年齢を重ねるにつれて太宰が教えてくれたことは
弱者こそ、強者になりうるということ。
強者には見えない、弱者の想いがわかる。
わかった時、信念をもったとき
だから「にんげんの底からのかくめい」を起こせる。
太宰が死んでも、強烈なインパクトと
破滅する人間、生きる人間とはを教えてくれた。
何を書いてもただのラブレター。
それでいい。
書き殴ってでもめちゃくちゃな言葉でも
たくさんの作品を残してくれて、ありがとう。
そして、この日に生まれてくれて、ありがとう。
と声を台にして伝えたい。
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