無自覚に傷つけている怖さ ~『嚙みあわない会話と、ある過去について』を読んで~
私は短編小説よりも、長編小説の方が好きだ。短編小説だと、なんとなく物足りないというか、話が途中で終わってしまったように感じるからだ。なので、大好きな辻村深月さんの本でも短編集は積極的に読んでいなかったのだが、「なんでもっと早く読まなかったんだーー!!!!」と激しく思う程、おもしろかった。今回はその短編集の中の『パッとしない子』という話について触れたいと思う。
この物語は小学校教師である美穂(みほ)の視点でストーリーが展開されていく。人気アイドルになった元教え子の佑(たすく)が番組の企画で母校を訪れることになり、美穂は懐かしさを覚えていたが、佑は違う感情を持って美穂に対峙する。美穂は当時の佑を「パッとしない子だった」と振り返えっていたのだが、その感想が当時の佑本人に伝わってしまっていたことが話が進むにつれ明らかになる。
佑は当時美穂が生徒を差別しており、その差別により美穂が担当していた佑の弟は蔑ろにされ不登校になってしまったと糾弾する。しかし美穂はそのことに関して身に覚えが無く、困惑してしまう。美穂が自分の非を自覚できないでいることにさらに憎悪を募らせた佑は、美穂を許すことなく学校を立ち去ってしまう。
相手が自分に対して抱いている感情や評価が、期待からかけ離れていると感じたとき、人は傷つくのではないだろうか。もっと敬意を持ってほしかった、関心を持ってほしかった、好かれたかった、認められたかった、慕われたかった。
故意に負の感情や評価を対象にぶつけてしまえば、それはいじめやハラスメントと呼ばれる。意図せずにそれが伝わってしまった場合、デリカシーやモラルの欠如ということになるだろうか。この話の場合は後者に該当すると言えそうだが、それだけで終わらせてよい話ではないように思う。
物事に対する繊細さや言葉や振る舞いのニュアンスは人それぞれであるから、送り手と受け手で感性が違うことがある。そのようなことに無頓着な人は無自覚に人を傷つけてしまったり、敏感な人は必要以上に傷ついてしまうかもしれない。
そんなつもりはなかった。そちらが繊細すぎて勝手に傷ついたことを、こちらのせいにしないで欲しい。美穂の言い分もわかる。しかし、全てを受け手側の感性のせいにしてしまって本当によいのだろうか。
教師だって人間なのだから、自分に懐いてくる子の方がかわいいだろうし、クラスの中心的な子供たちに気に入られたいと思うのは自然なことだと思う。クラスの地味で目立たない子供たちにまで関心を向けるのは難しかったかもしれない。何度も保健室に行ったり、授業を抜けたりする佑の弟が正直煩わしかったかもしれない。そのような感情や思いを持つこと自体が悪だと言うのであれば、誰も潔白な人などいないだろう。
問題は、自分がそのような思いを持っていたことを自覚せず、認めもしなかったことなのではないか。自分を慕ってくる生徒の評価のみを鵜呑みにして、教師としての内面の未熟さを省みることはしてこなかったのではないか。地味で目立たない生徒たちをあからさまに不当に扱ったり、無視するようなことはさすがになかったかもしれないが、彼らに対し無関心なところがあったり、多少面倒に思っていたのは事実なのだろう。
それを認めず、佑や佑の弟の感じていた痛みをわかろうともしない美穂の態度が、図々しく自己を正当化させているようで、佑には許せなかったのではないか。潔く自らの教師としての至らなさを認め、佑の気持ちに寄り添う姿勢を見せていたなら、もう少し違う結末になっていたのではと思う。
自分に甘く内省をあまりしないタイプの人は、自己認知が都合よく歪められているのだろう。佑のように繊細で観察が鋭い人に自分の欠点を突き付けられても、その言葉は心に響かず、自己防衛の方が先に反応してしまう。
佑にも繊細すぎるところや美穂への偏見が強すぎるところがあったかもしれない。ただ、傷つけられた側は相手の事情を汲んでやる余裕や義理などないし、その偏見を誘発したのは美穂の言動であることは間違いない。
私もどちらかと言うと相手の言動の意図を深読みして傷つきやすいタイプなので、佑の気持ちに共感したし、心の中で誰かを美穂に重ねて読んでいた。自分を正当化せず至らない点があったことを自覚してほしい、そして私があなたの言動に傷ついていたことを理解してほしい、そんな気持ちだろうか。
けれど、誰かにとっては私が美穂のような存在だったこともあるだろう。人を傷つけずに生きていくことなど誰にもできないかもしれない。だから、内省を続けて少しでも良い人間になることを諦めないことが、せめてもの償いなのかなと思った。
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